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イエス様の十字架の苦しみはここゲッセマネから始まりました。
三位にして一体である父なる神から捨てられることは、「悲しみのあまり死ぬほど」(34)の苦痛なのです。
しかも3年間ともに歩んできた弟子たちは、イエス様への思いよりも眠気の方が優先で、その後の裏切りと逃げ去りを思わせるような悲しい態度でした。
その中で主イエスは、人間となられたゆえの弱さを抱えながら、すなわち肉体の苦しみと恐怖心と戦いながら、十字架へ向かう祈りをささげたのです。
「この杯をわたしから取り去ってください。」(36)と祈ったのは、自分の願いを押し通そうとするものではなく、「あなたがお望みになることが行われますように。」(36)というように、主のみこころへと進む決心を固めるためのものです。
祈りとはこのように、主のみこころを知って従う決心を与えられるためでもあります。
十字架の愛を受け継ぐ私たちも、それぞれの十字架を負うために、そしてその後の勝利と賞賛をいただくためにも、主イエスの祈りを模範としましょう。
主は「耐えられない試練にあわせることはなさ」(1コリント10:13)らないからです。
祝福を祈ります。
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