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「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(34)ということばは、詩篇22篇にあります。
イエス様はダビデがご自分の苦難のひな型であることを知っておられたので、このみことばを口にしたのでしょう。
イエス様が旧約の預言・約束としてご自身が十字架に架かり、救いを成し遂げようとしておられることがわかります。
「大声をあげて、息を引き取られた」(37)という記述から、その苦しみが極みに達していたことが分かります。
そしてイエス様の肉体は完全に死んだのです。
そのとき「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38)とあります。
この幕は聖なる神と人間とを分ける幕でしたが、人類の罪をイエス様が負ってくださったことにより、聖なる神に人間が近づけるようになったことを表します。
どんなときも、どんな魂の状態でも、主に近づきましょう。
そのための十字架の御苦しみだったのですから。
イエス様の十字架のそばには様々な人々がおり、女性もいました。
当時女性はさげすまれていて、人数には入れられなかったのですが、神様は女性をも尊重し、男女に優劣はつけてはおられません。
ここでも多くの女性達が危険を顧みず勇気を持って、イエス様の側近くで見守っていました。
それはイエス様への信仰の表れでもあります。
当時の女性のように人間からは尊重されていないようでも、主から信仰が与えられたならば、強められてすばらしい働きをすることができます。
主と主への信仰に可能性があるのです。
アリマタヤのヨセフは、サンヘドリン(イスラエルの最高決定機関であり最高裁判所)の有力な議員でしたから、イエス様が議会で死への尋問を受けておられたときも彼はそこにいたはずです。
そして今十字架のイエス様を見たときに彼は、まさにこの方が神の子であることを悟りました。
イエスの遺体を埋葬するなどということは、その仲間であることを表明するのですから、その身に危険が及びますし、また議員としての地位もなくすことでした。
そしてこのことがイエス様の復活を明確な形としました。
墓からのよみがえり、そしてローマ兵やローマ当局の対応など、墓があったからその記録が残ったのであり、復活が明確になったのです。
主イエスが神であることを知ったなら、またその思いを新たにしたなら、勇気を持って主のためにできうることをしましょう。
祝福を祈ります。
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