本文とメッセージはこちら
「祭司」(13)や「祭壇に仕える者」(13)に対してさえ、主はさばきの宣告をなさいます。
主との交わりという大切な働きですが、国全体が不信仰になり、その信仰の中心ともいうべき部分が機能不全に陥るのです。
私たちの共同体がもしも主からの祝福を失うなどということがあるなら、それは何よりも礼拝という信仰の中心が機能不全に陥ることでしょう。
主との交わりこそが私たちの生命線です。
私たちも罪あるものなので、主からのさばきの宣告を受けなければなりませんが、主はイエス様の贖いによって罪を赦していてくださいます。
そのイエス様のゆえに礼拝が可能になるのです。
そしてその礼拝こそが祝福の証しです。
本来さばかれるべきものが、このように礼拝を許されたものとなるというのは、何と感謝なことでしょうか。
礼拝を何よりも大切にし、また主に喜ばれる礼拝のために最善を尽くしましょう。
祝福を祈ります。
【バイブルメッセージの最新記事】