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正義と真実によって判断されるなら、イエス様は無罪で釈放されるべきでしたが、ピラトは暴動を恐れてイエス様を死刑にさせました。
暴動が起こるということは自分の統治能力がないと査定されるからです。
自分の出世のために神の子を犠牲にしたのです。
群衆は革命を起こさないイエス様に失望していました。
失望は怒りに変わり、それが集団心理によって暴徒化するところまでいってしまったのです。
彼らはかつてはイエス様のいやしや奇跡を求めて従っていた、または好意的に思っていた人々でした。
それでも自分の勝手な”救い主像”や期待に合わないと、反対者になってしまったのです。
私たちもまだ完全に神様の御計画が分からないときには、失望したり悪態をつきたくなる思いにとらわれるかもしれません。
そのときはあくまでも全能にして愛の神様に祈って聞くことです。
それをしないでいると、神様との関係が健全でなくなってしまいます。
祝福を祈ります。
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