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今度の試練はあらかじめ主から聞いていたものではなく、いわば突発的なものでした。
そのような試練はさらに辛いもので信仰が試されるのですが、これまで主のみわざを体験したエリヤは、主に食い下がって祈ります。
このように主の訓練と成長にはさらなる段階があります。
辛い出来事も主からの試練で成長のためと信じましょう。
イスラエル歴代の王たちは主に背いて、その身にも王国にも苦難をもたらしましたが、それは主の警告の通りでした。
ただし主は民を十把一絡げにして滅ぼすという方ではありません。
一人一人の人格や状況や人生をいつくしむ方です。
また各々の信仰をご覧になって報いてくださる方でもあります。
王国は偶像邪教によって大いに乱れていましたが、主の使命に生きる預言者がおり、またそのような主の働き人を助ける家族がいたということは、反逆の歴史の中にも主のみわざが、信仰の深い部分で流れていたことの証です。
旧約の時代においても勝利は信仰によるものです。
しかし民族的には信仰ではく反逆となり、滅ぼされるのですが、その回復と救いのためにはイエス様の十字架と復活を待たねばなりませんでした。
私たちもときには主に背いてしまう者ですが、そういうときには十字架のもとに行きましょう。
そこでエリヤやこの婦人のようになれるのです。
祝福を祈ります。
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