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エズラ記が神殿再建についての記録であるのに対して、ネヘミヤ記は城壁の再建について記されています。
そのような歴史的大事業を指導したネヘミヤですが、その始まりはこのエピソードによります。
ネヘミヤはいつも故国のことが気がかりで、ハナニたちにそれを尋ねました。
その報告を聞いて彼は「座り込んで泣き…」(4)とあります。
そのうえで、主の前に危機感を持って罪を悔い改めました。
ネヘミヤにとってエルサレムは神の都であり、その現状はまさに主の威光の表れです。
彼の嘆きは主のための嘆きにほかなりません。
私たちも主の威光のために、この国を憂いて嘆き、本気でリバイバルを求める心が求められているのではないでしょうか。
城壁が崩された国のように、サタンの攻撃にもろい様相は明らかで、犯罪や争いや不正によって、「困難と恥辱の中に」(3)いるかのような状態です。
祝福を祈ります。
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