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「…安息日を汚している」(17)というのは、神様を汚しているということになるので、「悪事」(17)という表現を、ネヘミヤは用いています。
安息日を守る、すなわち現代で言えば日曜の礼拝を守るということは、自分自身は神に従っているということの証明でもあります。
逆に礼拝を守らないということは、神を二の次にしているということで、この世に神以上に権威のあるものがあってそれに従っているということになるのです。
旧約時代であれば、それは死を意味しましたが、新約時代の今は霊的な命が疲弊するという意味で、死に向かうことになります。
神を信じるクリスチャンが礼拝を守らないということは、神はその程度の存在であると、世に示しているようなものです。
自分自身が礼拝を守ることは、実に大きな証しであり、主のお役に立っているということを自覚し感謝しましょう。
礼拝を守ることでどれほど主に喜ばれているかを覚えましょう。
祝福を祈ります。
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