本文とメッセージはこちら
偶像を慕っている民の様子が書かれています。
偶像が木でできている場合は、「木に伺いを立て」(12)ということになってしまいます。
偶像に従うことの愚かさは明らかですが、神の代わりに、神のように従うことも同じです。
愚かなことです。
「娘が姦淫をしても、...罰しない」(14)というのは、寛容さというよりも、男達の罪を明らかにするためです。
「神殿娼婦とともにいけにえを献げて」(14)と、告発しています。
私たちの罪はこのように社会的にはいろいろ複雑で、いかようにも分析できるかもしれません。
しかし主の目には単純で、明らかです。
罪は主の前には明確なのです。
言い逃れをするよりも、正直に自分の非を認めることのできる人は、主に受け入れられます。
そこから聖霊によって新しく始められるなら、主の祝福を受けます。
祝福を祈ります。
【バイブルメッセージの最新記事】