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1-3節は信仰のことばのようですが、「あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。」(4)と主は言われます。
そこに悔い改めがないからです。
(これを肯定的な信仰のことばに解釈するものもありますが、4節との整合性を考える必要があります)
人生の回復や祝福をいただきたいなら、主のみ手により頼むことです。
しかし主は召使ではありません。
主のみこころにかなわないままで、主に動けというのは、全く傲慢な姿です。
私たちはそれまでの不信仰や、不従順を悔い改めて、その上で主にお願いすることです。
主はそのために、試練を与えたもうこともあるのです。
自分勝手な信仰の思い込みから、神様を主とした信仰にシフトしていきましょう。
祝福を祈ります。
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