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イエス様の十字架は全ての人のためであること、そして救いのために十分なものであることは、救いの理解にとって何よりも大切なことです。
そうでないと、ある人にとっては十字架以外にも何かが必要になってしまいます。
救いのためにお金や善行や修行が必要だとしたら、それはイエス様の十字架を不十分なものとして、引き下げてしまうことになってしまいます。
ここで言われている「割礼を強い」(3)るというのもそのように、十字架を不十分とすることです。
パウロはそのような間違った福音を、何としても正したかったのです。
しかしながら、自分だけで独善的に進めようとはしませんでした。
すでに「柱として重んじられているヤコブとケファとヨハネ」(9)からの信任と同意を大切にしたのです。
ここにクリスチャンとしての、また働き人としての健全さがあります。
そのような者が主の器であることを悟りましょう。
また主の使命を果たせることを知りましょう。
祝福を祈ります。
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