2024年10月22日

2024/10/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ガラテヤ人への手紙3:1-9です。

本文とメッセージはこちら

ガラテヤの教会にはにせ教師が入って来て、律法を守り割礼を受けなければ救われないと説きました。
律法も割礼も悪いことではありません。
どちらも主の命令に従うという点では、むしろ良いものです。
しかしどんなに良いものでも、イエス様の十字架と同列に置くことはできません。
ましてやイエス様の救いのみわざに欠けがあるかのように、救いの条件としてしまうのは大きな過ちです。

ですから教会でも、十字架の救いが条件であるはずの洗礼に関して、長く礼拝に来ているから、両親が熱心なクリスチャンだから、奉仕してくださっているから、などということで受洗を勧めたりはしないのです。
また救われた後も信仰の成長のために必要なのは聖霊であって、決して律法ではありません。
私たちも何かの律法的基準を設けて、完成されているとかいないとかを議論することはないのです。
救われた後の良い行いは、すべて聖霊によって、イエス様を愛する思いから生まれるものであって、自分の頑張りで人と比べて達成するようなものではありません。

律法はユダヤ人の専売特許と思われますが、その始祖アブラハムも、「神を信じた。それで、それが彼の義と認められ」(6)、信仰によって異邦人も救われるからこそアブラハムによって「すべての異邦人が、…祝福される」(8)との約束があったのです。

ですからあらゆる点からいって、救いも成長も律法的な頑張りによるものでなく、すなわち人間の力ではなく、神である聖霊の力です。

祝福を祈ります。
posted by DJshuntaro at 05:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | バイブルメッセージ
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