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パウロにとっては、ガラテヤ教会の人々が本当の福音すなわちキリストの十字架による救いを受け入れたときはすばらしい喜びでした。
彼らは感動と感謝を持ってパウロから福音を受けたので、そのパウロが目の病であると知って「自分の目をえぐり出して」(15)与えたいとさえ思ったのでした。
神の救いの愛を解した愛情は強く純粋なものです。
永遠の命のために神様が遣わしてくださった人に感謝し、愛し、常に喜びを分かち合いましょう。
しかし、そのガラテヤの人々は今や、間違った福音すなわち律法による救いを教える人々の熱心さに、つられて惑わされてしまいました。
律法によるということは、その動機がイエス様への愛ではなく、義務感からやっているということです。
ですから「あの人たちはあなたがたに対して熱心ですが、それは善意からではありません。」(17)ということになるのです。
もしもキリストの愛と犠牲による福音によって救われた私たちが、自分の努力や能力で救われたようなことを言ったり、またはそれで成長しようと思うなら、ここでパウロが言うような苦しみをイエス様にも与えていることを知るべきです。
主の愛の中で聖霊によって、救いを確信し全うし、成長し、用いられていきましょう。
祝福を祈ります。
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