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パウロは目が悪かったので、自筆で書くときには大きな字でなければなりませんでしたが、そのことはむしろ彼の情熱を明らかにしました。
弱さが人の心を動かすことにもなると信じて、主のみこころを熱心に行いましょう。
割礼とは、古い約束による救いの条件です。
しかしそのような古い条件は、律法も含めて誰も守りきることができないので、実際には救いではなくさばきをもたらすものなのです。
それなのに何故「割礼を強いてい」(12)るのかというと、それは『外見を良くしたい」(12)のであると、パウロは言います。
すなわち外見上は「立派な人、立派な信仰」と見られたいのです。
目に見える基準を自分で決めて、”〇〇できるから、〇〇しているから、〇〇していないから”立派だとか、信仰が足りないなどと言う人は、そのような人であるということです。
私たちは自分の行いを誇らないで、「主イエス・キリストの十字架」(14)だけを誇りにしたいものです。
そうでなくてないけません。
自分を誇らないこと、それはいつも誠実に意識していなければできるものではありません。
祝福を祈ります。
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