2025年01月23日

2025/1/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書7:1-13です。

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前章には「弟子たちのうちの多くの者が離れ去り」(6:66)とあります。
イエス様にとっては、人間的に見れば失意の時であり、慰めや励ましが必要な時でもあります。
イエス様の肉の兄弟たちはそのような兄イエスを見て、きっとやさしい気持ちからでしょう…希望につながるようなアドバイスをしました。

イエス様の奇跡のわざを見て、それを多くの人の前で行うなら、兄は世の成功者になれると考えたのです。
私たちも同じように、人情からありがたい助言をもらうことがあります。
家族であったり、友人であったり、先輩であったりするでしょう。
気持ちを考えると否定もできないものです。

しかしここでは「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」(5)と書いています。
信仰から出ていなかったのです。
またイエス様の救いの大使命を単なる個人の成功のレベルでしか捕えていなかったのです。

私たちは個人の成功を求めていけないのではありません。
しかしそれよりももっと大きな価値と、それを実現するための使命があるのです。
人情はありがたいですが、それに左右されるなら大切なものを失う場合が少なくありません。

イエス様に対する兄弟のアドバイスは、イエス様の命を危険にさらすことになります。
また全人類の救いという絶大なる成功を損なうタイミングだったのです。
「わたしの時はまだ来ていません。」(6)と言うとおりです。
人よりも神様のみこころを優先できる人になりましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月22日

2025/1/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書6:60-71です。

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ここでの弟子とは、単にイエスという先生の教えを求めていたくらいの人々でしょう。
現代の教会においても、熱心だけれども信仰はあやしいという人もいますから、注意が必要です。
自分の価値観に合っていると思えるうちは喜んで、集会や交わりにも参加しますが、何か合わないものがあると去ってしまいます。

何よりも大切なのは、その人がイエスを師としてではなく、主として全面的に信じて従っているかです。
その基本が何よりも十字架なのです。
「いのちを与えるのは御霊です。」(63)と主イエスが言われるように、十字架は御霊によってしか信じ受け入れることができません。

ですから御霊によって信仰に至ることができたのは、ただ主の恵みであり、イエス様が「わたしがあなたがた12人を選んだのではありませんか。」(70)と言われるのです。

信じていのちを与えられた私たちは、全能の神から選ばれた者です。
また十二弟子のように尊い使命が地上において与えられてているのです。
感謝と誇りと自信をもちつつ、謙遜に使命を果たして生きましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月21日

2025/1/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書6:41-59です。

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パンとは人にとっては、生きるための糧であり、労働の目的です。
世の人はそれさえあれば安心と思い、それが最優先課題であると信じ込んでいます。
しかしイエス様はそれ以上に大切なものがあると教えられます。
それは永遠に変わることのない「天」(41)であり、この世の事象を支配する天の父のみこころです。
ですから「天から下って来た」(41)イエス様こそが、何よりも大切な方であり、肉体の命ではなく永遠の命のための「パン」(41)なのです。

イエス様は十字架でその「肉」(51)を裂いて「与え」(51)てくださって、「生けるパン」(51)となってくださいました。
そこまでして与えてくださった永遠の命であり、また真理ですから、私たちはこれを最優先課題にして、そのためにこそ生きてゆきましょう。 

「肉を食べ、その血を飲」(53)むとは、イエス様の尊い犠牲を受け入れるということです。
まるで人肉を食べるかのような、生々しい表現がなされています。
しかしイエス様の十字架はまさに生々しいものです。
そして痛み苦しみによって、命が与えられているのですから、外れた表現ではないのです。
むしろそれほどの犠牲によって、私たちは生かされているのだということを感じる必要があるからこそ、聖書にそのことばがあるのです。

イエス様にそれほどの苦しみを負わせた私たちなのですから、いまさら自分を取り繕う必要はありません。
いまさらイエス様に負担をかけないような生き方ができるなどと、幻想を抱く必要もありません。
それをイエス様も求めてはおられません。
ただ「わたしを食べる者」(57)が「わたしによって生きる」(57)という、いのちの関係を願っておられるのです。

イエス様の「肉を食べ」(54)「血を飲む」(54)私たちは、「永遠のいのちを持って」(54)いること、「終わりの日に」「よみがえらせ」(54)ていただけることを、当たり前のように確信して、イエス様の愛のうちに日々、瞬間瞬間「とどまり」(56)続けましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月20日

2025/1/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書6:22-40です。

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群衆は熱心にイエス様を追い求めました。
しかしそれは「パンを食べて満腹した」(26)という御利益があったからです。
イエス様は「なくなってしまう食べ物のためではなく」(27)と言われます。
神様のみわざであったとしても、御利益で求めたものはなくなってしまうのです。
主は与えてくださいますが、それは「永遠のいのちに至る」(27)ものを与えたいからです。

それはイエス様への信仰です。
それを求めて受けましょう。
イエス様を信じるというのは群衆のような信じ方ではなく、何かをもらえるというのではありません。
イエス様が救い主であり、聖め主であり、癒し主であり、全能の従うべき王であることを信じるということです。
イエス様はそれを求めておいでなのです。
それは信じる者の勝利と祝福になるからです。

群衆はしるしを、すなわち奇跡を求めました。
しかしイエス様はしるしではなく、ご自身を示されて、「わたしがいのちのパンです。」(35)と明言なさいました。
しるしを求める者よりも、イエス様ご自身を理解して求め、そして受け入れる者を願っておられるのです。

自分の欲しいものを求めることは悪ではありません。
しかし与えられた、答えられたという満足で終わらずに、主のみこころを求めて従えたことに満足しましょう。

永遠のいのちとそれを伝えることが「父のみこころ」(40)ですから、そのことを続けていきましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月19日

2025/1/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書6:1-21です。

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いやしなどのみわざを期待してイエス様のもとに来る人は大勢いました。
しかし、イエス様の目的は彼らに、ご自身が天からのパンであることを知らしめることです。
今日もみわざを期待して教会に来る人や、希望が叶ったと喜ぶ人がいますが、それだけでは悪霊の神々とさほど変わりません。
それらを通して、主のみこころが分かる必要があるのです。

イエスは「ピリポを試すため」(6)に、彼に質問しました。
それはピリポなど弟子たちがイエス様のみわざについて、よく考えるようになるためです。
今日も主は私たちを試すことがありますが、それは教育的な配慮です。
迷うときや悩むときは、イエス様が愛を持って、良い体験をさせようとしてくださっているのだと知りましょう。
そして、しっかりと祈りと聖書からのみことばを通して神様の答えをいただきましょう。

また、しるしを見て信じた人々は、結局自分たちのことしか考えていませんでした。
主のみこころが何であるかではなく、勝手に王を立ててこの世的な変革を望んだのです。
「この方こそ...預言者だ」(14)というのは一見信仰のことばのようですが、実は神ではなく人間の考えを信じているのに過ぎないのです。
神様の御心やご計画よりも自分の願望が先走っていないか考えてみましょう。

今日でも奇跡などのしるしを求めるクリスチャンも少なくありません。
しるしはイエス様を証言している聖書によって裏付けられます。
また聖書によって主のみこころがわかってこそ、意味があるのです。

弟子たちはイエス様を見たのに、恐れてしまいました。
主イエスをいつも見て、いつも共に歩んでいないと、せっかくの愛の主が恐い存在に感じてしまうこともあるのです。
しかし主は「恐れることはない」(20)と言ってくださいますから、そのことばをいつも聞くようにしましょう。
そして安心して主のもとに近づき、祈り、従って行きましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月18日

2025/1/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書5:39-47です。

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聖書はイエス様について「証ししている」(39)と、イエス様ご自身が明言なさいます。
聖書は堅苦しい学びだけの本ではありません。
また人の思いを遠ざけるような心の通わない信条や戒律の本でもありません。
何よりもイエス様を表す唯一の神のみことばなのです。
そしてイエス様は愛のお方であり、その愛を伝えるのが聖書なのです。

ですから、聖書を愛する人はイエス様を愛し、イエス様を愛する人は聖書を愛します。
イエス様に信頼する人はイエス様に従い、聖書に従うのです。
聖書を読むときは、イエス様の「もとに」(40)行こうと思いつつ読みましょう。

モーセは旧約の聖徒ですが、そのモーセに与えられた律法の成就者がイエス様です。
神様のみこころは旧約も新約も首尾一貫しているのです。
そのような全能の主に信頼して、従いましょう。
またその主から与えられた人生を肯定的に生き抜きましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月17日

2025/1/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書5:30-38です。

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イエス様がキリストすなわち救い主であることは、ヨハネの証し、イエス様のみわざの証し、そして御父の証しがあります。
イエス様は客観的に検証可能な方でもあるのです。

私たちはイエス様が遠く感じられることもありますが、そのようなときは、ヨハネのような信仰の人の証しを聞いたり、聖書からイエス様のすばらしいみわざに心を留めたりすることは大いに力になります。
また直接御父に祈ることでも、聖霊が働いてくださりイエス様と近くなることができます。
様々なことによって主と交わることができますから、それらを楽しみつつ実践しましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月16日

2025/1/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書5:19-29です。

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ここに御子イエスと御父との一体か表されています。
その一体は愛と信頼の関係であることが分かります。
最も権威のある神そのものである方が、御父に対して「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。」(19)と、全くの服従と謙遜を貫かれます。
ここに権威があるのです。

神を知らない人々の権威は、自分の思い通りにできる力と考えます。
しかし、本当の権威とはイエス様のように神に服従することなのだと知りましょう。
私たちはその点で思い違いをしてはいないでしょうか。
仕事において、子育てにおいて、友人関係において考えてみましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月15日

2025/1/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書5:1-18です。

本文とメッセージはこちら

この足なえの人は、池に自分を入れてくれる人を願っていました。
それは、池の水が動いた時に最初に入った人が癒やされるという言い伝えを信じてのことでした。
それは誰が言い広めたのかは分かりませんが、それを期待して、人々が池の周りに待機していたのでした。
しかし足が悪いこの人には希望がありませんでした。
他の人に遅れを取るからです。

このように人間が作り出した条件を満たせずに、悩み続ける人はいるものです。
しかし、本当に必要なものは違います。
イエス様はそれを見抜いておられました。
彼に必要なのは池ではなく、まして彼を「入れてくれる人」(7)でもありません。
「床を取り上げ、歩」(8)くことです。

私たちは回りに影響されて、本当に必要ではないものを求め続けて希望をなくしているかもしれません。
もう一度、神様から問いかけていただきましょう。
そして神様から本質的な解決をいただきましょう。
それは何でしょうか。
教えていただきましょう。

安息日の規定は神様から与えられたものです。
しかしユダヤ人たちは、神様よりも規定の方に固執していました。
安息日は神様を第一にするためのものなのに、全く本末転倒なことをしてしまったのです。
それだけでなく、安息日を守らないということで、神様ご自身である主イエスまでも迫害しました。

私たちもここは警戒しなくてはならないところです。
神様の御心よりも、規定や権威を守ろうとするなら、このユダヤ人たちと一緒です。

誰かとの関係で、自分が正しいはずと思っていることがあるなら、もう一度主の御心は何なのかを祈って聞いてみましょう。
また主イエスをどんな規定よりも尊い方としてあがめましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月14日

2025/1/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書4:43-54です。

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ガリラヤの人々はイエス様のみわざを見て信じましたが、この王室の役人は「あなたの息子は治ります。」(50)とのことばを信じました。
ここに神様を信じる信仰の姿勢があります。

私たちに求められているのは、確認ではなくて信仰です。
見て受け入れるのは確認ですが、見ないで信じるのは信仰です。
人はその人の言うことを信用できないときに、証拠を求めるのです。
イエス様という方を信用しましょう。
そして主のみわざを見ましょう。

息子が治ったのが、この役人に声をかけられたとき、すなわちこの役人が信じた時であることを心に留めましょう。
イエス様を信じようという決心のあるそのときに、主にみわざが始まるのです。

祝福を祈ります。
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2025年01月13日

2025/1/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書4:27-42です。

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当時サマリア人はユダヤ人からはさげすまれていたので、会話をすることはありませんでした。
しかし弟子たちは「なぜ彼女と…」(27)と言うこともなく、主イエスの働きに尊厳を感じていたようです。
そこでイエス様は弟子たちに、「わたしの食べ物」(34)として、最も必要であり欲するものを教えられたのでしょう。

それは人を救いに導くことです。
イエス様は人としてこの女性と接したのですから、イエス様ならできても自分にはできないのは当然だと、考えるのは当てはまりません。
イエス様はこのような人の来ない時間帯に水を汲みにくる女性の素性を察して、その上で女性の人格を認めながら、その本当の必要に沿って伝道したのでした。

私たちもまた、伝道という食物の味を体験してみましょう。
その喜びを味わうことができますから、チャレンジしましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月12日

2025/1/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書4:15-26です。

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この女性が乱れた私生活について話したときも、イエス様は罪を指摘するよりも、「あなたは本当のことを言いました。」(18)と、その言葉を否定しませんでした。
それでこの女性は、「あなたは預言者だとお見受けします。」(19)と、イエス様に権威を認めました。
もしも、自分が否定されたら、この女性はイエス様のことを否定したでしょう。
人とはそういうものです。

この女性が話をそらそうとしたときでさえ、イエス様はそれを受け入れて、その上で真理に導き入れました。
この女性がメシアについて興味があると見るや、「わたしがそれです」(26)とはっきりと核心部分の宣言をなさいました。
ここに福音の伝え方があります。

最後は福音をはっきりと伝えるべきですが、そこにいたるまでは、相手を思いやり認めて尊重して、相手の存在を尊ぶのです。
これこそが神様の伝えたいことであるというのは明白です。
なぜならイエス様は神様だからです。

この女性にイエス様が語られたように、私たちも先ずは相手を尊重して、語りましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月11日

2025/1/11早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書4:1-14です。

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イエス様の身に危険を感じたので、サマリアを通ることにしました。
そこでこの女性に会って伝道の機会が与えられました。
このように私たちが救いに導く人々は、計画外の出来事によって出会う人が多いものです。
主が導かれるからです。
そのような伝道の機会を逃さないようにしましょう。
背後に働いておられる主の期待に気づきましょう。

イエス様は初めから福音を語ったのではなく、この女性の興味関心、そしてニーズに応えて、伝道しました。
これは彼女を慈しんでおられたからです。
またその人の人格を尊重しておられたからです。
そのように愛をもって伝道しましょう。

新しい年にその希望を持って、祈り続けましょう。
チャンスを求めて祈ることで、チャンスに気づきましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月10日

2025/1/10早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書3:22-36です。

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バプテスマのヨハネに、イエス様への信仰のあるべき姿勢を見ることができます。
自分が何かをやったとは、少しも思っていません。
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。」(27)とは、まさに真実なことであり忘れてはならないことです。

ですから私たちは与えてくださるすばらしい「花婿」(29)を喜ぶのです。
花婿なるイエス様を愛しているので、イエス様のためになることが喜びです。
イエス様が「盛んになり、私は衰えなければなりません。」(30)と、喜びを感じながら言えるでしょうか。
それともイエス様のことよりも、自分の喜びが大事でしょうか。

祝福を祈ります。
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2025年01月09日

2025/1/9早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書3:10-21です。

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「モーセが荒野で蛇を上げた」(14)というのは、青銅の蛇のことで、病に倒れたイスラエル人がこれを見上げるといやされたという出来事です。
これはイエス様の十字架のひな型で、蛇のように呪われたものとなって木にかけられ、それを私たちが信じて仰ぎ見るときに救われるという真理を表したものです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16)との聖句はクリスチャンなら誰でも暗唱しておくべきでしょう。
私たちの救いの確信を与える聖句です。

私のために呪われたものとなってくださった、イエス様の謙遜と苦しみを覚えて、感謝しましょう。
その感謝を表しましょう。
感謝が私たちの力になります。

祝福を祈ります。
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2025年01月08日

2025/1/8早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書3:1-9です。

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ニコデモはイスラエル一の学者でしたが、それでも救いについては分かりませんでした。
「新しく生まれ」(3)るということは、それほどの奥義なのです。

それを知っている私たち、それだけでなく、実際に新しく生まれた私たちは、心から神に感謝すべきです。
また、もしもこの新生に実感がないなら、いつでも神様にそれを求める必要があります。
遅いことはありません。

祝福を祈ります。
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2025年01月07日

2025/1/7早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書2:13-25です。

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宮の中には神様への信仰を利用して、金儲けをする人々で溢れていました。
商売が悪いのではありません。
神の聖なることを利用してはならないのです。
礼拝の目的を曲げてはならないのです。
教会がそうならないように気をつけなくてはなりません。

イエス様は「三日でそれをよみがえらせる。」(19)と言われましたが、これは十字架の後3日目によみがえったことをあらわしています。
このことが後に実際に起こって、多くの人々がイエス様を信じました。
イエス様の出来事が単なる偶然ではないことがわかります。

神様を自分の利益に使うのではなく(それは神殿で商売をしているようなものです)、神様の主権によるご計画を認めて、主に従いましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月06日

2025/1/6早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書2:1-12です。

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イエス様が一般的な生活をしておられたことがわかります。
お母さんのマリアは新郎新婦の親戚であろうと思われます。
お手伝いをしていたからです。
イエス様が「あなたはわたしと何の関係がありますか。」(4)と言われたのは、冷たい印象を持つかもしれませんが、それは訳の問題であって、イエス様が「女の方」(4)と言われたのは、とても尊敬を表したことば使いでした。
その証拠にマリアはその後にもイエス様に期待しています。

しもべたちが「水がめを縁までいっぱいにした」(7)ことに注目しましょう。
イエス様に期待して願うときには、それが満たされる必要があるのです。
祈っても、すぐに終わらせてしまうのではなく、祈りを満たしましょう。
十分に祈りましょう。
主の時まで祈りを満たしましょう。
そこに信仰が表されます。

イエス様は「しきたり」(6)を喜びのお酒に変えました。
まさに律法から恵みへの転換をイエス様がなしてくださったことの現れです。
私たちも、律法的な生き方から、喜びの生き方に変えましょう。
それにはイエス様の救いに感謝し、イエス様のみわざに期待することです。

祝福を祈ります。
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2025年01月05日

2025/1/5早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書1:43-51です。

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ナタナエルは初め、「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」(46)と、イエス様に対して懐疑的でした。
しかしイエス様は、まず彼を受け入れ認めたのでした。
「いちじくの木の下にいる」(48)というのは、祈りや礼拝を表すからです。
当時多くの人々はそこを祈りの場としていたようです。

このように懐疑的な人はいるものです。
しかし、ナタナエルが後にイエス様の弟子となったように、人の未来と可能性は分からないものです。
今はどうあっても、主の可能性を信じてみましょう。
そして、イエス様がその人を認めてあげたように、私たちも信じない人の良き面を認めつつ、尊重しつつ伝道しましょう。

祝福を祈ります。
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2025年01月04日

2025/1/4早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネによる福音書1:29-42です。

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ヨハネはイエス様が誰であるかを知っていました。
「世の罪を取り除く神の小羊」とは、ユダヤ教の贖いの羊が念頭にあります。
その羊は雛形にしか過ぎず、イエス様を指し示すためであったと正しい理解をしていたことが分かります。

また「聖霊によってバプテスマを授ける者」(33)というのも、イエス様の中心的な役割を理解していることが分かります。
罪赦されたクリスチャンは、聖霊に満たされる必要があるからです。

イエス様と日々、親しく交わりましょう。
そして罪赦されたことを感謝しつつ、イエス様によって聖霊に満たされ続けましょう。
もしもまだ聖霊のバプテスマを体験していないなら、それを主に求めましょう。

また弟子たちはイエス様を出会ってすぐに、親しい人にイエス様を紹介しました。
私たちも親しい人に紹介しましょう。
まだであるなら、近いうちにそれができるように求めましょう。

祝福を祈ります。
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