本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上28:15-25です。
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サウルにとっては霊媒という間違った方法でしか、神の預言者サムエルとの接点が見出せませんでした。
しかし神様は憐み深い方なので、彼に語られたのでしょう。
すべては主の許しと支配の中で起きることですから、私たちはあらゆる状況において主の御心を悟る者でありたいと思います。
サウルはそこまで気落ちしても、悔い改めて主に立ち返ることをしませんでした。
思えばこれまでにたくさんのチャンスがあったのに悔い改めなかったのです。
そして自分に良くしてくれる家来や、食べ物などで一時の満足や安心を得ていました。
私たちは主こそが本当の満足、安心であることを忘れないようにしましょう。
それゆえに間違いに気づいたなら、主の御心に立ち返りましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月27日
2023年03月26日
2023/3/26早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上28:1-14です。
本文とメッセージはこちら
サウルは恐れからまたも罪を犯しました。
霊媒は主によって固く禁じられている行為です。
死者の「これをくださった主のもとに帰る」のですから、霊媒によって呼び出されるわけはなく、それは悪霊との交わりだからです。
サムエルが現れたようではありますが、悪霊かトリックか何かであったでしょう。
しかしまるでサムエルが神の御心を語ったかのような記述が次節からあります。
神様が惑わしのわざさえも用いられたのかもしれません。
不信仰な者が悪霊の手先とともにしたことですが、主はその中でも真理を表されたのでしょう。
霊を見分けましょう。
聖書によって裏づけがあるかどうかです。
また正しい信仰の共同体によって受け入れられているかどうかも重要です。
祝福を祈ります。
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サウルは恐れからまたも罪を犯しました。
霊媒は主によって固く禁じられている行為です。
死者の「これをくださった主のもとに帰る」のですから、霊媒によって呼び出されるわけはなく、それは悪霊との交わりだからです。
サムエルが現れたようではありますが、悪霊かトリックか何かであったでしょう。
しかしまるでサムエルが神の御心を語ったかのような記述が次節からあります。
神様が惑わしのわざさえも用いられたのかもしれません。
不信仰な者が悪霊の手先とともにしたことですが、主はその中でも真理を表されたのでしょう。
霊を見分けましょう。
聖書によって裏づけがあるかどうかです。
また正しい信仰の共同体によって受け入れられているかどうかも重要です。
祝福を祈ります。
2023年03月25日
2023/3/25早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上27:1-12です。
本文とメッセージはこちら
ダビデは逃れて異邦人の王に助けを求めました。
それは神を侮る人の力を借りたということで、その後のダビデの行動と無関係ではありませんでした。
彼は自分を助けるために、敵ではありましたが神に聞かずに攻め、さらにはユダすなわち同胞を攻めたと偽り、異邦人の王からの信頼を得ていたのです。
ダビデほどの人でもこのような堕落や偽りに陥るということも知っておくべきでしょう。
世の中の権力のもとで生きるとはそれほどに難しいものです。
神もダビデをあわれんで、後に彼を助けました。
自分も弱さを持っていることを謙遜に認め、他の人を裁かず、そして互いに励まし合うために、神のあわれみを語り合いましょう。
祝福を祈ります。
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ダビデは逃れて異邦人の王に助けを求めました。
それは神を侮る人の力を借りたということで、その後のダビデの行動と無関係ではありませんでした。
彼は自分を助けるために、敵ではありましたが神に聞かずに攻め、さらにはユダすなわち同胞を攻めたと偽り、異邦人の王からの信頼を得ていたのです。
ダビデほどの人でもこのような堕落や偽りに陥るということも知っておくべきでしょう。
世の中の権力のもとで生きるとはそれほどに難しいものです。
神もダビデをあわれんで、後に彼を助けました。
自分も弱さを持っていることを謙遜に認め、他の人を裁かず、そして互いに励まし合うために、神のあわれみを語り合いましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月24日
2023/3/24早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上26:13-25です。
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ダビデは自分を殺そうとするサウルに対しても、反抗して戦う意思がないことを表明しました。
かつてサウルに裏切られたダビデでしたが、今回も王を守ったのです。
サウルは後にまた裏切るのですが、そのつどダビデの真実な信仰が際立ちました。
理不尽な扱いを受ける度に、信仰と善き人格を表しましょう。
後の主の恵みとなるからです。
祝福を祈ります。
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ダビデは自分を殺そうとするサウルに対しても、反抗して戦う意思がないことを表明しました。
かつてサウルに裏切られたダビデでしたが、今回も王を守ったのです。
サウルは後にまた裏切るのですが、そのつどダビデの真実な信仰が際立ちました。
理不尽な扱いを受ける度に、信仰と善き人格を表しましょう。
後の主の恵みとなるからです。
祝福を祈ります。
2023年03月23日
2023/3/23早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上26:1-12です。
本文とメッセージはこちら
ダビデにはまたサウルを倒すチャンスが来たのですが、またも彼はそれをせずにサウルに手をかけることはしませんでした。
神がダビデを王に決めたことは明確でしたし、サウルは「時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるか」(10)のどちらかであるということも分かっていました。
それでもダビデは、間違った方法で王になることを拒んだのです。
このように主の御心は、結果が良ければそれで良い、目的が達成できればそれで良いというものではないのです。
自分が正しいと思いがちなとき、または自分を反省する謙遜な思いが足りないときなどには、思いどおりの結果を求めてしまうものです。
しかしダビデのように正しい方法でそれをするなら、間違いからも守られます。
祝福を祈ります。
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ダビデにはまたサウルを倒すチャンスが来たのですが、またも彼はそれをせずにサウルに手をかけることはしませんでした。
神がダビデを王に決めたことは明確でしたし、サウルは「時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるか」(10)のどちらかであるということも分かっていました。
それでもダビデは、間違った方法で王になることを拒んだのです。
このように主の御心は、結果が良ければそれで良い、目的が達成できればそれで良いというものではないのです。
自分が正しいと思いがちなとき、または自分を反省する謙遜な思いが足りないときなどには、思いどおりの結果を求めてしまうものです。
しかしダビデのように正しい方法でそれをするなら、間違いからも守られます。
祝福を祈ります。
2023年03月22日
2023/3/22早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上25:36-44です。
本文とメッセージはこちら
ダビデが喜んだのは、「このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった」(39)ということでした。
「やり返すことができた」、「すっきりした」などということではない点に注目しましょう。
復讐やさばきは主の仕事で、主の権威によってなされます。
もしも何か嫌なことをされたとしても、自分でやり返すようなことがあれば、たとえそれがうまくいったとしても、相手をへこませることができたとしても、周囲が賛同してくれたとしても、それは主の権限を奪っていることになるのです。
ダビデを模範にしましょう。
アビガイルはまだ王に狙われているダビデを助けました。
ダビデが主の御心を行っていること、主が彼を王とする計画がある以上必ずそれを成し遂げられるのだと信じていたからです。
雲行きや大勢を見て、自分の安全な方を選ぶのではなく、主の御心を第一に決断したのです。
それが信仰者のあり方です。
また勝利への道なのです。
祝福を祈ります。
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ダビデが喜んだのは、「このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった」(39)ということでした。
「やり返すことができた」、「すっきりした」などということではない点に注目しましょう。
復讐やさばきは主の仕事で、主の権威によってなされます。
もしも何か嫌なことをされたとしても、自分でやり返すようなことがあれば、たとえそれがうまくいったとしても、相手をへこませることができたとしても、周囲が賛同してくれたとしても、それは主の権限を奪っていることになるのです。
ダビデを模範にしましょう。
アビガイルはまだ王に狙われているダビデを助けました。
ダビデが主の御心を行っていること、主が彼を王とする計画がある以上必ずそれを成し遂げられるのだと信じていたからです。
雲行きや大勢を見て、自分の安全な方を選ぶのではなく、主の御心を第一に決断したのです。
それが信仰者のあり方です。
また勝利への道なのです。
祝福を祈ります。
2023年03月21日
2023/3/21早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上25:23-35です。
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アビガエルはダビデに取り入って、自分たちが助かるように懇願しますが、それはあくまでも主への信仰に沿ったものでした。
「主は生きておられ」(26)、「主が、ご主人様について約束なさったすべての良いことを」(30)と主を中心にした発言です。
私たちも主の御心抜きしては何も実現しないことを忘れないようにすべきです。
ダビデもすぐに復讐を思いとどまり、主に従いました。
自分はナバルに正しいことをしたのに、それを仇で返した者には、それ相応の報いをして当然と思っていたダビデです。
しかしそれはみこころではないと、主の前に素直に改めたのです。
このダビデのように主と人の前に謙遜であることは恵みです。
祝福を祈ります。
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アビガエルはダビデに取り入って、自分たちが助かるように懇願しますが、それはあくまでも主への信仰に沿ったものでした。
「主は生きておられ」(26)、「主が、ご主人様について約束なさったすべての良いことを」(30)と主を中心にした発言です。
私たちも主の御心抜きしては何も実現しないことを忘れないようにすべきです。
ダビデもすぐに復讐を思いとどまり、主に従いました。
自分はナバルに正しいことをしたのに、それを仇で返した者には、それ相応の報いをして当然と思っていたダビデです。
しかしそれはみこころではないと、主の前に素直に改めたのです。
このダビデのように主と人の前に謙遜であることは恵みです。
祝福を祈ります。
2023年03月20日
2023/3/20早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上25:14-22です。
本文とメッセージはこちら
ダビデたちがナバルの労働者たちを守ったことは、隠されることなく明らかにされました。
若者がナバルの妻アビガエルに告げたのです。
彼の証言からナバルの人間性の悪さが改めてはっきりします。
アビガエルは聡明な婦人で、義を行い、また主の計画を悟ることができました。
ダビデがただの野武士ではなく王の器であることを理解したのです。
さらには「夫ナバルには何も告げなかった。」(19)とありますから、夫の性格も知った上で、彼と家とを守ろうとしたのです。
自分はとりなし手となりました。
このアビガイルのように、周りに流されずに、主のご計画を悟って、主の側につく者となりましょう。
祝福を祈ります。
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ダビデたちがナバルの労働者たちを守ったことは、隠されることなく明らかにされました。
若者がナバルの妻アビガエルに告げたのです。
彼の証言からナバルの人間性の悪さが改めてはっきりします。
アビガエルは聡明な婦人で、義を行い、また主の計画を悟ることができました。
ダビデがただの野武士ではなく王の器であることを理解したのです。
さらには「夫ナバルには何も告げなかった。」(19)とありますから、夫の性格も知った上で、彼と家とを守ろうとしたのです。
自分はとりなし手となりました。
このアビガイルのように、周りに流されずに、主のご計画を悟って、主の側につく者となりましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月19日
2023/3/19早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上25:1-13です。
本文とメッセージはこちら
ダビデのもとには困窮した者や不満を持った者たちが集まりました。
通常そのような一群、特に兵士は略奪などで食いつなぐことが多いのですが、ダビデの群れは別でした。
ダビデは神を信じているので、義を行い、また神に信頼していたからでしょう。
むしろナバルの労働者たちを敵から守り、よくしてあげたのでした。
一方ナバルは多くの恩恵をダビデたちから受けたにもかかわらず、ダビデが権力者でもなく自分の得にはならないと判断したのでしょう。
彼はダビデを罵り、恩を仇で返しました。
ここでダビデの行動は、非常に人間的なもので、信仰的ではありませんでした。
ナバルを攻撃しようとしたのです。
ダビデに理由があったでしょうが、神様はそれをよしとはなさいません。
(後にダビデは思いとどまります)
悪に対して悪で報いないことです。
しかしダビデほどの人でもその誘惑があることを思いつつ、復讐心の強さを認めて警戒しましょう。
祝福を祈ります。
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ダビデのもとには困窮した者や不満を持った者たちが集まりました。
通常そのような一群、特に兵士は略奪などで食いつなぐことが多いのですが、ダビデの群れは別でした。
ダビデは神を信じているので、義を行い、また神に信頼していたからでしょう。
むしろナバルの労働者たちを敵から守り、よくしてあげたのでした。
一方ナバルは多くの恩恵をダビデたちから受けたにもかかわらず、ダビデが権力者でもなく自分の得にはならないと判断したのでしょう。
彼はダビデを罵り、恩を仇で返しました。
ここでダビデの行動は、非常に人間的なもので、信仰的ではありませんでした。
ナバルを攻撃しようとしたのです。
ダビデに理由があったでしょうが、神様はそれをよしとはなさいません。
(後にダビデは思いとどまります)
悪に対して悪で報いないことです。
しかしダビデほどの人でもその誘惑があることを思いつつ、復讐心の強さを認めて警戒しましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月18日
2023/3/18早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上24:16-22です。
本文とメッセージはこちら
「サウルは声をあげて泣いた」(16)とあります。
彼の感情的にはいつわりはありませんでしたが、後にはやはりまたダビデを殺そうと攻撃しました。
感情は人の心を動かしますが、多くは一時的なものです。
涙だけでその人の本質を判断するのは早計です。
サウルは涙ながらに正しいことを言っていますから、心から変わったかのように見えますが、実際には聖霊による変化ではなかったのです。
一時の感情の変化で人が変わるものでもなく、また自分自身も変わったのではないと知るべきです。
本当の変化は聖霊によるものです。
聖霊さまが働いて、聖霊様に従っているのかどうかを、吟味しましょう。
聖霊様は神のことばである聖書によって、また聖書に沿って働かれます。
要は主との交わりです。
祝福を祈ります。
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「サウルは声をあげて泣いた」(16)とあります。
彼の感情的にはいつわりはありませんでしたが、後にはやはりまたダビデを殺そうと攻撃しました。
感情は人の心を動かしますが、多くは一時的なものです。
涙だけでその人の本質を判断するのは早計です。
サウルは涙ながらに正しいことを言っていますから、心から変わったかのように見えますが、実際には聖霊による変化ではなかったのです。
一時の感情の変化で人が変わるものでもなく、また自分自身も変わったのではないと知るべきです。
本当の変化は聖霊によるものです。
聖霊さまが働いて、聖霊様に従っているのかどうかを、吟味しましょう。
聖霊様は神のことばである聖書によって、また聖書に沿って働かれます。
要は主との交わりです。
祝福を祈ります。
2023年03月17日
2023/3/17早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上24:1-15です。
本文とメッセージはこちら
ダビデはサウルの頑なな人間性や主への不信仰などを嫌というほど見せられてきましたが、ただ「 主に油そそがれた方」であるという一点において、サウルに逆らうことをしませんでした。
その信仰により、ダビデは神の方法により、神の時に勝利を得ることができたのです。
自分の判断よりも主の御心を第一にする者を主は祝福せずにはおられません。
祝福を祈ります。
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ダビデはサウルの頑なな人間性や主への不信仰などを嫌というほど見せられてきましたが、ただ「 主に油そそがれた方」であるという一点において、サウルに逆らうことをしませんでした。
その信仰により、ダビデは神の方法により、神の時に勝利を得ることができたのです。
自分の判断よりも主の御心を第一にする者を主は祝福せずにはおられません。
祝福を祈ります。
2023年03月16日
2023/3/16早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上23:15-29です。
本文とメッセージはこちら
ヨナタンは自分の後の王位も栄光もダビデのものになっても良いと思っていました。
主がそのようにお決めになっていたからです。
それゆえダビデの苦境に対して、心から心配して慰め励ましました。
主を信じている私たちは互いにそのように励まし合いましょう。
主はご自身に従うダビデを守ってくださいました。
仕切りの岩のような出来事は私たちにとっても多くもたらされているのです。
主に感謝し、信頼し、御心を行いましょう。
主の愛ゆえに希望を持ちましょう。
祝福を祈ります。
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ヨナタンは自分の後の王位も栄光もダビデのものになっても良いと思っていました。
主がそのようにお決めになっていたからです。
それゆえダビデの苦境に対して、心から心配して慰め励ましました。
主を信じている私たちは互いにそのように励まし合いましょう。
主はご自身に従うダビデを守ってくださいました。
仕切りの岩のような出来事は私たちにとっても多くもたらされているのです。
主に感謝し、信頼し、御心を行いましょう。
主の愛ゆえに希望を持ちましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月15日
2023/3/15早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上23:1-14です。
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ダビデは危機にあるにも関わらず、ケイラを助けました。
まさに愛の行いです。
主の御心は余裕があるときだけでなく、自分が大変なときこそ行うべきもので、そこに本当の愛が表され、主のみわざが進みます。
ただしダビデは、ある種のヒロイズムでそれを行ったのではなく、あくまでも主の御心を聞いて行いました。
そこに信仰の行いがあります。
また主の守りがあるのです。
ケイラの人々は結局ダビデを裏切りました。
この世の価値観からすれば、何のために助けたのか、それは無駄なことだったということになるかもしれませんが、ダビデはそのようなことで後悔はしませんでした。
主の御心を行い、その結果を信頼して委ねることが、信仰者の力です。
祝福を祈ります。
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ダビデは危機にあるにも関わらず、ケイラを助けました。
まさに愛の行いです。
主の御心は余裕があるときだけでなく、自分が大変なときこそ行うべきもので、そこに本当の愛が表され、主のみわざが進みます。
ただしダビデは、ある種のヒロイズムでそれを行ったのではなく、あくまでも主の御心を聞いて行いました。
そこに信仰の行いがあります。
また主の守りがあるのです。
ケイラの人々は結局ダビデを裏切りました。
この世の価値観からすれば、何のために助けたのか、それは無駄なことだったということになるかもしれませんが、ダビデはそのようなことで後悔はしませんでした。
主の御心を行い、その結果を信頼して委ねることが、信仰者の力です。
祝福を祈ります。
2023年03月14日
2023/3/14早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上22:11-23です。
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ダビデは神様が王として立てられたサウルの権威を否定することはありませんでした。
しかし、それはあくまでも神様に従うゆえの信仰です。
一方ドエグは王に従順でしたが、神様を考えなかったことで、王の大罪に加担することになりました。
この世の権威や秩序に従うことは必要ですが、神様の正しいみこころに反してはならないのです。
ダビデはアヒメレクが殺されたことで心を痛めますが、情に流されることなく、今出来る最善のことをしようとします。
アヒメレクとそのエブヤタルも、ダビデを逆恨みすることはありませんでした。
悪に加担することはしないと、信仰で決心していたからでしょう。
ダビデのように主のために生きる者には、必ず主のために犠牲をもいとわない協力者が与えられるものです。
祝福を祈ります。
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ダビデは神様が王として立てられたサウルの権威を否定することはありませんでした。
しかし、それはあくまでも神様に従うゆえの信仰です。
一方ドエグは王に従順でしたが、神様を考えなかったことで、王の大罪に加担することになりました。
この世の権威や秩序に従うことは必要ですが、神様の正しいみこころに反してはならないのです。
ダビデはアヒメレクが殺されたことで心を痛めますが、情に流されることなく、今出来る最善のことをしようとします。
アヒメレクとそのエブヤタルも、ダビデを逆恨みすることはありませんでした。
悪に加担することはしないと、信仰で決心していたからでしょう。
ダビデのように主のために生きる者には、必ず主のために犠牲をもいとわない協力者が与えられるものです。
祝福を祈ります。
2023年03月13日
2023/3/13早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上22:1-10です。
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ダビデは不自由で不安な逃亡生活でしたが、「困窮している者、負債のある者、不満のある者たち」(2)をも受け入れました。
自分が大変なときでも人々を省みるのが信仰者です。
後にダビデを大いに助けた三勇士はこのときダビデの下に来た者たちです。
教会もこうありたいものですが、それは方針や活動というよりも1人1人の信仰と愛にかかっています。
またダビデは預言者の進言を聞き入れ、ユダにもどります。
それは危険なことでしたが、結局はアヒメレクが捕えられたときには近くにいなかったわけで、自分を助けたことになりました。
愛と主のみこころ(と思われる信仰者の助言)を行うとき、主は必ず最善をなしてくださいます。
一方サウルは自分のことしか考えず、息子も家来も心が全く離れてしまいました。
しかし彼は反省することもなく、「だれも、私のことを思って心を痛めることをせず」(8)と、自己憐憫に陥っています。
孤立してしまったときは、自分をかわいそうと思う前に、主への従順から起きたことか、それとも自分に非があったのかを考えることも必要です。
祝福を祈ります。
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ダビデは不自由で不安な逃亡生活でしたが、「困窮している者、負債のある者、不満のある者たち」(2)をも受け入れました。
自分が大変なときでも人々を省みるのが信仰者です。
後にダビデを大いに助けた三勇士はこのときダビデの下に来た者たちです。
教会もこうありたいものですが、それは方針や活動というよりも1人1人の信仰と愛にかかっています。
またダビデは預言者の進言を聞き入れ、ユダにもどります。
それは危険なことでしたが、結局はアヒメレクが捕えられたときには近くにいなかったわけで、自分を助けたことになりました。
愛と主のみこころ(と思われる信仰者の助言)を行うとき、主は必ず最善をなしてくださいます。
一方サウルは自分のことしか考えず、息子も家来も心が全く離れてしまいました。
しかし彼は反省することもなく、「だれも、私のことを思って心を痛めることをせず」(8)と、自己憐憫に陥っています。
孤立してしまったときは、自分をかわいそうと思う前に、主への従順から起きたことか、それとも自分に非があったのかを考えることも必要です。
祝福を祈ります。
2023年03月12日
2023/3/12早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上21:10-15です。
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この「おかしくなったかのようにふるまい」(13)というのも解釈が二通りで、機知が与えられて主に守られた信仰…という見方と、信仰が足りないゆえに人を恐れたみじめな姿…という見方とがあります。
そして現実はその両方であると言えるでしょう。
人の行いは白か黒かで判断できないものです。
トラブルや災害など極限に近い状態では、様々な考えや判断や価値観や優先順位が入り混じるものです。
そして結局、ダビデの場合もそうですが、最後には主の愛と憐み、そして選びの確かさが残るのです。
苦難の中で人が取った行動を批判することはできませんし、また自分の取った行動が批判されても、それを理由に自分を責める必要はありません。
主がそれをどうごらんになっているかが重要なのです。
ダビデに関しても賛否があったでしょうが、彼の心には自責の念で萎縮する思いよりも、主への信頼が強くなったはずです。
それで後にサウルの命を助け、王となるための信頼を確立することができたのです。
祝福を祈ります。
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この「おかしくなったかのようにふるまい」(13)というのも解釈が二通りで、機知が与えられて主に守られた信仰…という見方と、信仰が足りないゆえに人を恐れたみじめな姿…という見方とがあります。
そして現実はその両方であると言えるでしょう。
人の行いは白か黒かで判断できないものです。
トラブルや災害など極限に近い状態では、様々な考えや判断や価値観や優先順位が入り混じるものです。
そして結局、ダビデの場合もそうですが、最後には主の愛と憐み、そして選びの確かさが残るのです。
苦難の中で人が取った行動を批判することはできませんし、また自分の取った行動が批判されても、それを理由に自分を責める必要はありません。
主がそれをどうごらんになっているかが重要なのです。
ダビデに関しても賛否があったでしょうが、彼の心には自責の念で萎縮する思いよりも、主への信頼が強くなったはずです。
それで後にサウルの命を助け、王となるための信頼を確立することができたのです。
祝福を祈ります。
2023年03月11日
2023/3/11早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上21:1-9です。
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ダビデの行動に関しては、註解者にも賛否があります。
祭司のもとに行ったのは、主のもとに行ったことであり、それは信仰の表れであるとほめる解釈もありますが、実際にはただ助けを求めて行ったようにも見えます。
ゴリヤテの剣を手にできたのは、ダビデの信仰による結果だとの解釈もありますが、それは祭司に嘘を言った結果であり、信仰者の姿勢としては間違いであったとする見方もあります。
現実的にはその両面があるということでしょう。
そしてそれがダビデのように苦難にある人の、事情とその中で何とかしなければならない心の辛さではないでしょうか。
ダビデ自身も、こういうときこそ信仰で…と思ったでしょうが、それでは死ななければならないという現実がありました。
やむを得ず現実的な方法を取らなければならなかったとうことが、実際に私たちにもあり得るでしょう。
しかしそのようなときでも、主はパンを用意し(それも主に献げられた祭壇の)てくださり、また剣を用意してくださったのです。
自分が力においても、また信仰においても弱い者であることを自覚して、主の前に謙遜になりましょう。
それゆえに、こんな弱い自分を助けてくださる主をあがめて、信頼しましょう。
祝福を祈ります。
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ダビデの行動に関しては、註解者にも賛否があります。
祭司のもとに行ったのは、主のもとに行ったことであり、それは信仰の表れであるとほめる解釈もありますが、実際にはただ助けを求めて行ったようにも見えます。
ゴリヤテの剣を手にできたのは、ダビデの信仰による結果だとの解釈もありますが、それは祭司に嘘を言った結果であり、信仰者の姿勢としては間違いであったとする見方もあります。
現実的にはその両面があるということでしょう。
そしてそれがダビデのように苦難にある人の、事情とその中で何とかしなければならない心の辛さではないでしょうか。
ダビデ自身も、こういうときこそ信仰で…と思ったでしょうが、それでは死ななければならないという現実がありました。
やむを得ず現実的な方法を取らなければならなかったとうことが、実際に私たちにもあり得るでしょう。
しかしそのようなときでも、主はパンを用意し(それも主に献げられた祭壇の)てくださり、また剣を用意してくださったのです。
自分が力においても、また信仰においても弱い者であることを自覚して、主の前に謙遜になりましょう。
それゆえに、こんな弱い自分を助けてくださる主をあがめて、信頼しましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月10日
2023/3/10早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上20:35-42です。
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矢によってダビデの危機を教える方法は、ダビデを守るためにヨナタンが考えた方法でしたが、周囲に誰もいないと知るとダビデは姿を現し、ヨナタンに別れを告げました。
ヨナタンはダビデのためにあらゆる手立てを講じる考えでした。
それが兄弟愛です。
二人は「抱き合って泣いた」(41)とあります。
それは主から与えられた友情による思いです。
男でも感情を表すことが大切なときがあるのです。
そのときの思いは、後々までも二人の兄弟愛を育みます。
ダビデはヨナタン亡き後、体の不自由になったヨナタンの子メフィボシェテを王のように待遇しました。
またメフィボシェテは父ヨナタンから受け継いだダビデへの思いによってダビデをあくまでも信頼し力になったことが、後に記されています。
互いの愛を表すことは主のすばらしいみわざのために、大きな力となるのです。
祝福を祈ります。
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矢によってダビデの危機を教える方法は、ダビデを守るためにヨナタンが考えた方法でしたが、周囲に誰もいないと知るとダビデは姿を現し、ヨナタンに別れを告げました。
ヨナタンはダビデのためにあらゆる手立てを講じる考えでした。
それが兄弟愛です。
二人は「抱き合って泣いた」(41)とあります。
それは主から与えられた友情による思いです。
男でも感情を表すことが大切なときがあるのです。
そのときの思いは、後々までも二人の兄弟愛を育みます。
ダビデはヨナタン亡き後、体の不自由になったヨナタンの子メフィボシェテを王のように待遇しました。
またメフィボシェテは父ヨナタンから受け継いだダビデへの思いによってダビデをあくまでも信頼し力になったことが、後に記されています。
互いの愛を表すことは主のすばらしいみわざのために、大きな力となるのです。
祝福を祈ります。
2023年03月09日
2023/3/9早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上20:24-34です。
本文とメッセージはこちら
人の願いと基準によって王になったサウルと、神様に選ばれたダビデの違いがここでも明らかになります。
サウルに関してはまさに反面教師ですが、誰もが人である限りは同じような面を持ち合わせていると気づく必要があります。
サウルは自分の王位を息子であるヨナタンに継がせたいと願っていました。
それにはダビデがいたらヨナタンの「王位も確立されないのだ」(31)ということです。
自分では息子のためと思い、そのように言っているのですが、まったく身勝手な思いであることは、その息子までも怒りで殺しそうになったことで分かります。
子どもは次世代のためといいながら、実は身勝手な考えであるという可能性もありますから、気をつけなければなりません。
またサウルは主の前にも身勝手です。
王位は自分のものではなく、主のものなのにそれが分かっていません。
それを守ろうとダビデを排除するたびに罪を犯し、結局王にふさわしくない自分であることを露呈しています。
王ほどではないとしても、主に用いられている人は、また主から善きものを与えられている人は、それが主からのものであることを肝に銘じ、主に感謝して謙遜に従っていきましょう。
祝福を祈ります。
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人の願いと基準によって王になったサウルと、神様に選ばれたダビデの違いがここでも明らかになります。
サウルに関してはまさに反面教師ですが、誰もが人である限りは同じような面を持ち合わせていると気づく必要があります。
サウルは自分の王位を息子であるヨナタンに継がせたいと願っていました。
それにはダビデがいたらヨナタンの「王位も確立されないのだ」(31)ということです。
自分では息子のためと思い、そのように言っているのですが、まったく身勝手な思いであることは、その息子までも怒りで殺しそうになったことで分かります。
子どもは次世代のためといいながら、実は身勝手な考えであるという可能性もありますから、気をつけなければなりません。
またサウルは主の前にも身勝手です。
王位は自分のものではなく、主のものなのにそれが分かっていません。
それを守ろうとダビデを排除するたびに罪を犯し、結局王にふさわしくない自分であることを露呈しています。
王ほどではないとしても、主に用いられている人は、また主から善きものを与えられている人は、それが主からのものであることを肝に銘じ、主に感謝して謙遜に従っていきましょう。
祝福を祈ります。
2023年03月08日
2023/3/8早天メッセージ
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、サムエル記上20:12-23です。
本文とメッセージはこちら
人間の願いによって人間的な基準で立てられた王であるサウルと、神が選び立てられたダビデとの違いがサムエル記の重要テーマです。
よく知られているようにダビデはキリストの型であって、そのようなキリストが待望され、またそのようなキリストであることにより、イエス様がキリスト(預言された救い主)であることが検証されるのです。
ダビデとサウルとの違いは、ここではヨナタンとの友情において明らかにされています。
二人の友情は王位を争っているなら有り得ないことですから、ダビデは王位への野心がないこと、むしろヨナタンが王子であることを認めて尊重していることがわかります。
今は二人は王子と平民という上下関係にあるのですが、ヨナタンは「あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。」(15)とダビデの主にある力を認めています。
二人が神様だけを見上げていたことが分ります。
ダビデは身に起こる危険に切迫感を持ちながらも、王を憎むこともその子に怒るでもなく、諦めないで最善な策を探ります。
翻弄されながらも、主に任せている信仰です。
人はそれぞれの歩み方がありますが、ダビデのように、不安の中にも主を信じて、あくまでも信仰によって前を見ましょう。
また信仰の友と主の計画を願う心を分かち合いましょう。
またヨナタンのように主のために生きる人を、主の尊い計画のゆえに励まして支えましょう。
自分を守ることを時には度外視する必要もあります。
祝福を祈ります。
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人間の願いによって人間的な基準で立てられた王であるサウルと、神が選び立てられたダビデとの違いがサムエル記の重要テーマです。
よく知られているようにダビデはキリストの型であって、そのようなキリストが待望され、またそのようなキリストであることにより、イエス様がキリスト(預言された救い主)であることが検証されるのです。
ダビデとサウルとの違いは、ここではヨナタンとの友情において明らかにされています。
二人の友情は王位を争っているなら有り得ないことですから、ダビデは王位への野心がないこと、むしろヨナタンが王子であることを認めて尊重していることがわかります。
今は二人は王子と平民という上下関係にあるのですが、ヨナタンは「あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。」(15)とダビデの主にある力を認めています。
二人が神様だけを見上げていたことが分ります。
ダビデは身に起こる危険に切迫感を持ちながらも、王を憎むこともその子に怒るでもなく、諦めないで最善な策を探ります。
翻弄されながらも、主に任せている信仰です。
人はそれぞれの歩み方がありますが、ダビデのように、不安の中にも主を信じて、あくまでも信仰によって前を見ましょう。
また信仰の友と主の計画を願う心を分かち合いましょう。
またヨナタンのように主のために生きる人を、主の尊い計画のゆえに励まして支えましょう。
自分を守ることを時には度外視する必要もあります。
祝福を祈ります。