2021年04月16日

2021/4/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記5:15-6:1です。

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人夫がしらも必死です。
苦役で奴隷の生活であったのが、さらに苦しくなったからです。
そこでモーセとアロンに「私たちを殺すために彼らの手に剣を渡した」というのも道理にかなっています。

このような時にこそモーセは辛かったことでしょう。
民のためにと立ち上がったのに、結果は逆になったのです。
悩みに悩んだでしょう。
そこで彼のとった行動に注目すべきです。
主のもとに行ったのです。
彼の祈りの場でしょうか。

私たちも葛藤があるとき、悩みのときは、すぐに人に相談したりネットで検索したりせずに、主のもとに行くことが重要です。
彼は主の確かな答えをいただきました。

祝福を祈ります。
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2021年04月15日

2021/4/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記5:1-14です。

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モーセが言ったからといって、パロ王は従いませんでした。
この世の権力はさらに強大になりたいと、その欲望はとどまるところを知りません。
モーセには何の武力も財力もないので、この世の権力にとっては従うようなものではないのです。
私たちも同じような体験をするでしょう。
そのときこそ、信仰が表れます。

パロはさらに「労苦を重く」しました。
モーセの行動は、イスラエルにとって裏目に出てしまったのです。
そのようなことはよくあるので、私たちは主に従っているのなら、ひるむことはありません。
モーセのように、主の力で冷静に大きな目で見て立ち向かいましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月14日

2021/4/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記4:24-31です。

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「彼を殺そうとされた」というのは、モーセが重病にかかったのだと思われます。
なかなか癒されずに、神様は彼をそのまま見捨てるのかと思われたのでしょう。
そこで、彼の妻であるチッポラは、息子に割礼(神の民のしるしとして男子が受けるもの)をしていないことに気づきました。
つまり神のものだという明確なしるしがなかったのです。
私たちも人生を歩むにあたって、また歩みは神様の使命と一体ですから、その使命を果たすにあたって、自分が神のものであるということは明確にしなくてはなりません。

「民は信じた。」とあります。
以前は口が重く、人を説得することなど無理と思っていたモーセですが、神様の権威と彼の確信、そして神様のみわざがあるとき、神の共同体は一体にできるのです。
自分のことばの巧みさや実力よりも、主のみわざを求めましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月13日

2021/4/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記4:18-23です。

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モーセが主のために決心した後は、神様は現実を開いてくださいました。
しゅうとイテロの理解、自分のいのちを狙っていた者がいなくなり、彼が主のために働く状況がそろったのです。
このように主は、その使命を果たす者のためには現実を動かしてくださるので、私たちは期待して主のために進むことができます。

ここで大切なことは、自分の都合のために現実が動いたというのではないということです。
あくまでも主の働き、すなわち「パロに言わなければならない。」という使命があり、主の目的のためです。
そのために働き人は祝福されるのです。

祝福を祈ります。
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2021年04月12日

2021/4/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記4:10-17です。

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モーセはその使命を全うするにあたり、神様からの取り扱いが必要でした。
彼はその無力さゆえに行くことを拒みました。
しかし、自分の無力さを認めることは大切なことで、私たちの働きはここから始まります。
すなわち神様の力が、そこに現れるからです。

また自分ではこの重荷を負うことを恐れ、別の人を遣わすように懇願しました。
そこで主は「アロンがいるではないか。」と、モーセに言っておられます。
一人ではできないことは当然ですから、私たちも、謙遜に助けや協力を求めましょう。

そのようにして、主の導きに従うことができますし、また主のための成功者となることができるのです。

祝福を祈ります。
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2021年04月11日

2021/4/11早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記4:1-9です。

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モーセは自分のことばに自信がなく、民が彼を信じないだろうと思いました。
誰もが同じように自分に自信が持てないものです。
神の使命を帯びたモーセもまた同じ弱い人だったのです。

神様はモーセを通して奇跡を行うと約束なさり、またそのことを実際に体験させて確信を与えました。
私たちも自信がないときには、やせがまんせずに神様に告白しましょう。
そして神様のみわざが与えられることの約束を得ましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月10日

2021/4/10早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記3:13-22です。

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人間が自己紹介するときは、親に付けられた名前、所属の学校や仕事先、出身地や住まいなどを言います。
それらによってその人の存在が明らかになるからです。
しかし神様はそれらのことに左右されたり、位置づけられたりしないお方です。
神以外のもので神を定義することは不可能なのです。
なぜなら永遠無限でないもので永遠無限のものを表現できないからです。

ですから神様は『わたしはある』という表現をご自身に使われたのです。
一方神様はご自身で有限なる人間に関わってくださる方でもあります。
そこにただ人間の神認識が生まれるのです。
ですから「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われました。

このような偉大な神様が私たち自身と交わってくださるということは奇跡の中の奇跡です。
その主がエジプトから民を救い出すというように、同じく私たちにも救いと守りの手を伸べてくださいます。
信頼しましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月09日

2021/4/9早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記3:1-12です。

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モーセがいかにして主に用いられたのかが、ここに明らかにされています。
それは出エジプトも、またカナンの占領も、主なる神様が主導なさったということが明らかにされるためです。
モーセはただ主に従ったに過ぎないのです。

ここで「くつを脱ぐ」というのは、奴隷の身なりを表します。
モーセは主の奴隷のように、ただ忠実に従ったのです。
この後のモーセの忠実さの原点はここにあるのです。
私たちもくつを脱ぎましょう。
主の前に自分は何か立派であるかのような振る舞いはやめましょう。

そのようなモーセでしたから、主は大いなる使命をお与えになりました。
私たちも主に用いられたいと思うなら、または立派は使命を果たしたいと願うなら、喜んで主の奴隷になることです。
それほどに主を信頼することです。

祝福を祈ります。
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2021年04月08日

2021/4/8早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記2:11-25です。

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モーセはパロの家に加えられ、王子としての教育を受けましたが、それでもへブル人であるというアイデンティティーは持ち続けました。
そして同胞愛は内に燃えていたのです。
その思いがあってこそモーセはあの出エジプトのリーダーとなれたのでした。
心の内の思いがまずは何よりも大切なのです。

しかしその方法は、自分の力に頼るものでした。
この出来事はモーセが40歳くらいのときでしたが、力もありまた気力もみなぎっていたでしょう。
この失敗は彼が人間的な力では何も成し遂げられないのだと学ぶためでした。
私たちも同じようにそのことを学びましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月07日

2021/4/7早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記2:1-10です。

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幼子の両親は、わが子をナイル川で殺すことはできず、せめてかごに浮かべておきました。
どうなるかは分かりませんでしたが、神様にゆだねたのです。
それは主のみこころにかなったことでした。
私たちも先行きが分からないことが多いですが、できるだけのことをして、後は主に委ねてみましょう。

この幼子はモーセと名づけられ、後にイスラエル人を救う指導者となりました。
彼は自分を殺そうとするエジプト王の権威のもとに成長したのです。
これはサタンの策略を逆手に取ってすばらしいみわざを起こされる主の摂理によります。
主を信頼しましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月06日

2021/4/6早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記1:15-22です。

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助産婦たちはエジプト人でありましたが、神様の形を持つ人間でした。
彼女たちの良心に主が働いてくださったのです。
全ての人に良心を与えられて神様をあがめつつ、そのみわざに感謝しましょう。

彼女たちがイスラエル人によくしたのは、イスラエル人の信仰によるものだったでしょう。
イスラエル人が神をあがめることを知っていましたし、その信仰ゆえに比較的誠実であったと思われます。
私たちも世の人々から慕われるような生き方をしましょう。

このような苦難がイスラエル人に及びましたが、それは後にモーセが現れて、主の働きをするためでした。
どんな苦難も主のみこころがあり、もっと大きな問題の解決と幸いのためです。
主に信頼して待ち望みましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月05日

2021/4/5早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、出エジプト記1:1-14です。

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ヤコブの子どもたちは、主の大きなご計画により、エジプトの地に定住しました。
その部族がほぼそのままイスラエルの部族となったのです。
そして律法が与えられ、約束の地であるカナンに定住し、イエス様の十字架の雛形である祭儀が与えられました。
それらは全て永遠のいのちと人類の救いのためです。

このように神様に用いられたイスラエル民族でしたので、主は彼らを大いに祝福してくださいました。
このように神様のご計画に歩む者は祝福されるのです。
イスラエルが「おびただしくふえ、すこぶる強く」なったように、私たちも主に祝福されるように、そのご計画を担って歩みましょう。

「新しい王」はイスラエルの民であるヨセフから受けた恩を知らずに、その子孫であるイスラエルを苦しめました。
それは彼らをイスラエルから脱出させる神様の大いなる目的もあったのです。

全ての苦しみに神様のすばらしい目的があることを知りましょう。
またそのように歴史を動かして救いを成就してくださった神様のみわざに信頼し、その権威にひれ伏して祝福を得ましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月04日

2021/4/4早天メッセージ

イースターおめでとうございます。
本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書28:1-20です。

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女性たちは第一証言者となりましたが、そうなろうと思ったわけではありませんでした。
ただイエスを愛するゆえに墓に行ったのです。
期待も希望も砕かれて意気消沈している中で、それでもイエス様への愛を表したのです。
私たちも、目的や期待感にも増して、イエス様を愛する者でありたいと思います。

「ある者は疑った。」とあります。
弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死に対しては希望を持つこともできないほど無力なのです。
しかし信じることができなくても、事実を見ることはできます。
だから歴史的に記録が残されているのです。
それが復活の信仰です。

イエス様はよみがえられました。
それは死への勝利を意味します。
サタンの敗北です。
これが私たちの希望です。
サタンが敗北したということは、私たちも苦難の中にあっても、かならず主の恵みの計画が成就するということです。
そして私たちも同じようによみがえるのです。

イエス様はその権威のゆえに、信じる者たちに使命を与えられました。
私たちも、この大弟子化命令を受け取って行きましょう。

すなわち、自分自身がイエス様の弟子となり、愛と宣教によって弟子を育てて行きましょう。
それがクリスチャンの基本姿勢です。

祝福を祈ります。
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2021年04月03日

2021/4/3早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:57-66です。

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アリマタヤのヨセフは、イエス様を死罪に定めた議会の一員です。
敵と思われるような人々の中からも救いは起きるのです。
大きな励ましです。
彼はまだ周囲を恐れていたようでしたが、それでも主は用いてくださるのです。
ここにも慰めがあります。

おそらく十字架のイエス様を見たときに彼は、まさにこの方が神の子であることを確信したのでしょう。
イエスの遺体を埋葬するなどということは、その仲間であることを表明することですから、その身に危険が及びますし、また議員としての地位もなくすことでした。
それでも彼は信仰を表しました。

そしてこのことがイエス様の復活を明確なかたちとしました。
墓からのよみがえり、そしてローマ兵やローマ当局の対応など、墓があったからその資料が残ったのであり、復活が明確になったのです。

主イエスが神であることを知ったなら、またその思いを新たにしたなら、勇気を持って主のためにできうることをしましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月02日

2021/4/2早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:45-56です。

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十字架につけられる場面は、聖書では簡潔に書かれています。
十字架刑は体に釘が打たれるだけでも激しい痛みですが、それだけではありません。
体を貫通した釘に体重がかかって、激痛と大量の出血が起こります。
また肩にかかる力によって、呼吸困難になり、恐ろしい苦しみが襲います。
肩の関節や肋骨も歪み、はずれたことでしょう。
イエス様は全身から血を噴き出させながら、体を激しく震わせたと思われます。
そのような状況で以下にある出来事が起きました。

「どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」ということばは、詩篇22篇にあります。
イエス様はダビデがご自分の苦難のひな型であることを知っておられたので、このみことばを告白しながら耐えたのだと思われます。
イエス様が旧約の預言・約束としてご自身が十字架に架かり、救いを成し遂げようとしておられることがわかります。

「大声で叫んで、息を引き取られた。」という記述から、その苦しみが極みに達していたことが分かります。
そしてイエス様の肉体は完全に死んだのです。
そのとき「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」とあります。
この幕は聖なる神と人間とを分ける幕でしたが、人類の罪をイエス様が負ってくださったことにより、聖なる神に人間が近づけるようになったことを表します。
どんなときも、どんな魂の状態でも、主に近づきましょう。
そのための十字架の御苦しみだったのですから。

イエス様の十字架のそばには様々な人々がおり、女性もいました。
当時女性はさげすまれていて、人数には入れられなかったのですが、神様は女性をも尊重し、男女に優劣はつけてはおられません。
ここでも多くの女性達が危険を顧みず勇気を持って、イエス様の側近くで見守っていました。
それはイエス様への信仰の表れでもあります。

当時の女性のように人間からは尊重されていないようでも、主から信仰が与えられたならば、強められてすばらしい働きをすることができます。
主と主への信仰に可能性があるのですから、雄雄しく主から離れずに歩みましょう。

祝福を祈ります。
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2021年04月01日

2021/4/1早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:27-44です。

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主イエスを愛し、その御思いに少しでも近づきたいという信仰でこの箇所を読みましょう。
そしてその一つ一つの苦しみが、自分自身のためであったことを覚えましょう。

「紫の衣」は高貴な人が着るものでしたが、ここでは明らかにイエス様をからかい馬鹿にしたものです。
王と自称してもこの有様だと言わんばかりです。
その極めつけとして、高貴な人が被る王冠をいばらで編んで、これを頭に食い込ませました。
数センチの長い棘は頭全体からこめかみまで食い込みました。
その顔は血だらけになったでしょう。

そのような中でクレネ人、シモンはイエス様をお助けすることができました。
はじめは「むりやり」に背負わされたのですが、最後の十字架のところまで負い続けたのです。
これも御父なる神様の導きであると考えられます。
もしも不本意な中で背負わされた重荷があるなら、主イエスの役に立てるなら…と思いを新たにし、十字架を負い直してみましょう。
必ず新しい喜びが生まれるはずです。

「苦みを混ぜたぶどう酒」は十字架の苦しみを和らげるためですが、イエス様はそれを拒否なさいました。
苦しみを余すところなく受けるためです。
イエス様はそれほどの覚悟を持って私たちを救ってくださったのです。
どんな時でもどんなことでも、イエス様は愛を差し控えるような方ではありません。
私たちは自分が主イエス様の無限の愛に包まれていることを、常に感じて生きるのです。

「着物」とは一枚の大きなもので、物資の乏しかった当時は、一生大切に着るものでした。
母は息子が12歳で成人するときに、愛情と祈りを込めて織ったそうです。
それを面白がってくじを引くほどに、イエス様は嘲弄されたのです。
さらにはそれを見ていた「イエスの母」マリアは心が張り裂けるほどだったでしょう。

イエス様は十字架に釘打たれました。
犯罪人と一緒ということは、ご自身が罪あるものとみなされたということです。
私たちは自分の罪を負ってくださった主イエス様に感謝しましょう。
自分が犯している、または犯してしまった罪のために、このように苦しまれたのだということを覚えましょう。

祝福を祈ります。
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2021年03月31日

2021/3/31早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:11-26です。

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ユダヤ人たちがピラトに迫り決断させることによって、死刑とそれに関わるすべての預言が成就しました。
神様の計画は、敵の身勝手な行動さえも用いて実現するのです。

ピラトは、自分の在任中にイスラエル人の暴動が起きると責任問題になるので、それを恐れて保身のために、イエス様を十字架につけるという要求に屈しました。
人は信仰の真理や正しいことを知っているだけでは足りなく、それを行わなければなりません。
ときには自分に不利になることがあっても正しいことを決断しましょう。

「それでも、イエスは…一言もお答えにならなかった」とあります。
イエス様は全てを父なる神にお任せするという、最も効果的で力ある道を知っておられたのです。
私たちは自分の不利に際して、あせってあれやこれやと言いたくなるものです。
または立場が悪くならないようにと、時には相手をやり込めたくなるものです。

全能の神のみこころに委ねること、これが本当に力ある者なのです。
また、時には何も申し開きの機会が与えられないまま、悔しい思いをすることがあるかも知れません。
そのときも御父に委ねることのすばらしさを感謝しましょう。
イエス様と同じ道を歩むことができるのです。

祝福を祈ります。
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2021年03月30日

2021/3/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書27:1-10です。

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「ユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し」とありますから、彼はイエス様が何かの力を使って、死刑にならないようにするのだと期待していたのかもしれません。
または何か自分の期待通りでないイエス様に怒り、仕返しの思いもあったかもしれません。
その動機ははっきり書かれていませんが、彼は身勝手な理由でイエス様を売って、お金を手に入れたのです。
その結果は目論見通りと納得したのではなく、後悔でした。

ここで分かることは、自分勝手な神観は危ないということです。
それは身勝手な失望と不従順につながります。
何事も神様に聞いて、つまり聖書に聞いて、神様の御心を理解しなければ、間違ってしまいます。

また後悔と悔い改めは違うということです。
悔い改めと日本語では訳しますが、原語では方向転換という意味です。
向きを変えて、過去の罪を振り払って前進するのです。
どのようにして罪を振り払うことができるのでしょうか。
それは十字架の贖罪と赦しです。

十字架に架かってくださった神である主という、神観をしっかりと持って、それゆえに過去の罪も失敗も赦していただいて、新しくしていただいて、向きを換えて出発して行きましょう。

祝福を祈ります。
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2021年03月29日

2021/3/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書26:69-75です。

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この世は完全にイエス様の敵となりました。
ペテロは自分のいのちを守るためには、ここでは「そんな者ではない」と否定するしかありませんでした。

イエス様の「(あなたは)ふるいにかけられる」との警告に対して、ペテロは謙遜に受け入れるどころか、「覚悟はできています」と大口をたたいてしまいました。
その結果が「そんな人は知らない。」という裏切りでした。

彼は自分の信仰を過信していたのです。
誰もが自分は信仰を持ち続ける、あの人のような罪を犯すことはない、あれくらいの奉仕なら自分ならやり遂げられるなどと思ってしまうものですが、状況というものは変わるものです。

自分は弱い存在であること、今の状態は続かないかもしれないということを知り、謙遜でありましょう。
そして謙遜ゆえに主の力に依り頼んで行きましょう。

イエス様は彼の裏切りをあらかじめ知っておられ、それを彼に伝えました。
彼が「イエスの言われたあのことば」を思い出すためです。
またそれは彼をとがめるためではなく、彼のその後に赦しと希望を与えるためです。

イエス様の弟子として歩むことには、大きな報いの祝福が約束されていますが、それは後のペテロのように、聖霊によらなければ不可能なのです。

裏切ったペテロは後に、復活の主によって赦されて尊い使命が与えられました。
さらに聖霊に満たされて、キリストの証人になりました。

謙遜に主に従いつつ、聖霊によってイエス様の弟子としての生き方を全うして、すばらしい報いをいただきましょう。

祝福を祈ります。
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2021年03月28日

2021/3/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マタイによる福音書26:57-68です。

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大祭司たちはイエス様を罪に定めることが、初めからの目的であったので、イエス様のことばを勝手に解釈しています。
「あなたの言うとおり」ということで冒涜と決め付けていますが、これは彼らがイエス様を「神のキリスト」と言っていることになります。
また「人の子」を勝手にイエス様であると解釈しています。

これにより結局彼らは、イエス様が神であるという事実を有罪としたのです。
すなわち彼らは神を神として認めなかったという罪を犯したわけです。

すべての義と真理、そして愛の根源であられる、創造主である神に逆らっては、どんな正義も成り立ちません。
その神様を有罪として、殺すなどという前代未聞の暴挙は、神が神であることを認めない態度と一体であることが分かります。

私たちは神様を神と認め、信頼しましょう。
神様を主として、どんなことでも従いましょう。
このときにイエス様のそばにいたとしたら、それができるでしょうか。
そして今はどうでしょうか。

祝福を祈ります。
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