2024年11月21日

2024/11/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録2:12-17です。

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ペルガモの教会は、サタンの王座と言われる偶像・悪霊の世にあっても、またアンテパスのような殉教者を出しても、「信仰を捨てなかった」(13)と褒められています。
主は異教の社会にあって、信仰を守り通している私たちの大変さをも分かっていてくださるはずです。

ただしこの教会の人々は、異端の影響を受けていたようです。
このニコライ派については他の記録はないようですが、ここから分かるのは放縦を勧めるような教えであったようです。
現代も自由や人権の勝手な解釈によって、倫理観が損なわれ易い時代ですから、時代に迎合するような教えに気をつける必要があります。

勝利を得ましょう。
それは財産や名誉ではなく、偶像や異端に惑わされないで、主の真理とご計画によって生きることです。

祝福を祈ります。
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2024年11月20日

2024/11/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録2:1-11です。

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7つの教会が出てきますが、どれも当時の代表的な教会であり、また同時にその特徴はいつの時代の教会にも当てはまるものでしょう。
エペソの教会には、労苦と忍耐、そして偽りを見抜いたこと、さらには忍耐が賞賛されています。
しかし「初めの愛から離れてしまった。」(4)と残念なところが指摘されます。

私たちはどうでしょうか。
主に喜ばれることは多くても、愛から離れてしまったら喜びがなく、辛いだけの忍耐になってしまいます。
主の愛にとどまるには、主の愛のことばをいただくことです。
または祈りに答えていただくことです。
いのちの木から食べるように喜びと楽しみを感じることでしょう。

スミルナの教会は、7つの教会の中で唯一叱責のない教会です。
人間的に表面だけを見るなら「苦難と貧しさ」(9)ばかりが目立つようでも、神様の目から見るなら「富んでいる」(9)と言われます。

私たちもそうありたいものです。
主はスミルナの教会の人々に大いなる天の宝を備えておられたということでしょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月19日

2024/11/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録1:9-20です。

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世の終わりという厳かな啓示は、「7つの教会...に送りなさい。」(11)というように、キリストの教会に伝えられました。
それゆえ教会にはその啓示を伝え広める使命があると言えます。
またそれは希望の使信として語られるのであって、救われて終わりの日に希望を持つ教会だからこそ正しく伝えられるのです。

ですから、まず明らかにされたのは「人の子のような方」(13)、すなわちイエス様です。
ここに示されている厳かなイエス様こそが私たちの救い主でありますから、私たちは心強いのです。

死や終末という究極の出来事に主イエスが希望です。
ましてや今を生きるのもイエス様こそが希望であることは言うまでもありません。

やがてイエス様が勝利のさばき主としておいでになるときには、教会は御前できよく傷のないものとして立つことが主のみこころです。
ですからこの書のように、教会は終わりの日のために叱責され、整えられる必要があるのです。
これら7つの教会はどの時代にも、またどの教会でも自省してみる必要がある共通点を持っています。
私たちの教会はどうでしょうか。
また教会の一部である自分自身はどうでしょうか。

祝福を祈ります。
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2024年11月18日

2024/11/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨハネの黙示録1:1-8です。

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これから起こるべきことを、主は使徒ヨハネにお示しになりました。
それは地上のことではないので、見たヨハネ自身も明確な理解があったわけではないでしょうし、さらにそれを表現し、そしてそれを人間が聞いても、その現象を完全に再現することはできないと思われます。

それでも主がそのようにお示しになったのは、それが私たちの信仰の確信と力になるからです。
主イエス様によって永遠の命が与えられた者にとっては、未来は希望なのだと深く心に刻みましょう。
そして希望ですから、わくわくして思うことができます。
世の終わりと天変地異も、それは希望なのです。

ヨハネがパトモス島にいた(9節)というのは、迫害にあってそこで終身刑を受けていたということです。
そのような無希望に見えるようなときこそ、主の永遠の希望の入口です。
私たちも将来が暗く感じるときこそ、主を見上げましょう。
主から希望がいただけますから、それを求めましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月17日

2024/11/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇72:12-20です。

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ソロモン王は結婚の問題や偶像への妥協などがあり、完全な王ではありませんでした。
ここに歌われているのはあくまでも理想像であって、ソロモンへの信頼を通して、主イエスへの信頼が表現されていると後代に分かったものです。

私たちはここにイエス様のすばらしい権威を見ることができます。
その権威は単に強いだけではく、弱い物への愛情が溢れる権威です。
ですから主イエスの支配は永遠に続くことが望まれるのです。

さらに私たちはこの世においても、権威の在り方を知ることができるでしょう。
それは理想に過ぎなくても、理想に近づくことはできます。
クリスチャンも何らかの権威を持つことがありますが、イエス様の権威が求められる姿です。

祝福を祈ります。
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2024年11月16日

2024/11/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇72:1-11です。

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ソロモンの親であるダビデか、またはソロモン王を信頼する家臣が歌ったものと思われます。
旧約聖書にはイエス様のことをひな型で表している箇所があります。
当時は王のことを歌っていても、神様がイエス様のことを表すためにこの聖句が残されたのだと、後の時代に分かったのです。
この詩篇も同じで、実はイエス様のことが表されているのだと分かります。
義、公正、平和などなど...。
私たちも、ここに歌われているように、主のすばらしい統治を喜ぶものでありましょう。
世にあっては苦難がありますが、それでも主の全能の力は最後に権威を持って治められるだと、信頼して平安を頂きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月15日

2024/11/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇71:14-24です。

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詩人が苦しい出来後の中で、主に助けを求めて祈っています。
その祈りは信頼の祈りであり、信仰の祈りですから主の御手を動かすことでしょう。
どこが信仰の祈りであるかというと、主の力強さ、義なる正しさ、そして助けてくださる憐みを宣言しているからです。

主に祈り求める時は、苦しさばかり強調するのではなく、主の力強さと愛を告白して信頼を宣言することです。
さらにそれは人との会話や思索の中にも表れます。
分かち合いのときも、苦しさを強調するよりも、主のすばらしさと信頼を強調しましょう。
それが信仰の祈りと勝利につながる近道です。

祝福を祈ります。
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2024年11月14日

2024/11/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇71:1-13です。

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苦難のときに主に祈り求めましょう。
それは人生の中で必要不可欠な祈りです。
どのように祈るかをここで学ぶことができます。

まずは「あなたに身を避けています。」(1)と、自分自身が主に頼っているというところから始めましょう。
そして助けを祈り求めますが、その時に信頼が必要です。
「生まれたときから」(6)神様に抱かれているという安心、「年老いたときも」(9)助けていただくという信頼、つまり人生すべてに主を信じて頼ることを告白しましょう。
そうすれば敵が「神は彼を見捨てた」(11)と、勝手なことを言っても動じなくなるでしょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月13日

2024/11/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇70:1-5です。

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詩篇40:13-17とほぼ同じ歌です。
おそらく主の祈りのように、ここだけ抜粋して礼拝の中で歌われたのだと推測されます。

このように同じ歌が何度も歌われていたと思われますが、それはイスラエルの民にとって大きな力となったことでしょう。
どんな時にも力となる賛美が与えられるなら感謝です。
そのような力は常に主に向いて主に歌う人にこそ、与えられるのではないでしょうか。

祝福を祈ります。
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2024年11月12日

2024/11/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇69:29-36です。

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28節まではダビデの祈りはアップダウンのある心のようでしたが、ここに来て主への信頼と賛美に満たされています。
ダビデに信仰が与えられ、実際主は彼を守ってくださったことは周知の通りです。

問題があり解決をいただきたいときは、納得できるまで、勝利の確信が与えられるまで、主の最善が分かるまで祈りましょう。
主は必ず答えてくださいます。

祝福を祈ります。
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2024年11月11日

2024/11/11早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇69:13-28です。

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22節からは敵への勝利が宣言され祈願されていますが、その信仰へと導かれたのは、先の忍罪ととりなし、そしてこの箇所にある祈りです。
ただしダビデは神様の前に聞き分けの良い祈りをしたのではありません。
「いつくしみ深いあなたの恵み」(16)と宣言した後にも、「嘲りが私の心を打ち砕き 私はひどく病んでいます。」(20)と訴えています。

私たちの祈りもこのようなものではないでしょうか。
信仰が与えられて心が勝利したと思っても、またしばらくすると、希望が感じられなく落ち込んでしまうのです。
ダビデはその繰り返しのような中でも、あくまでも主に訴え続けました。
ここに信仰があるのです。

そしてそれこそが主との交わりの恵みであり、本当の賛美へのプロセスなのです。

祝福を祈ります。
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2024年11月10日

2024/11/10早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇69:1-12です。

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ダビデは息子アブシャロムの反逆のゆえに苦しめられて、歌ったものです。
どれほどの悲しみかと察することができます。
このようなときにも、私たちクリスチャンにはすることがあります。
それは主に祈り「叫」(3)ぶことです。

その中でダビデは自分の犯した罪を忘れることができませんでした。
「神よ あなたは私の愚かさをご存じです。私の数々の罪過はあなたに隠されていません。」(5)と歌うのですが、その時彼は、自分を赦してくださいというのではなく、「あなたを待ち望む者たちが 私のために恥を見ないようにしてください。」(6)と、神の民のために祈っています。

ここに主への悔い改めの実を見ることができます。
私たちも悔い改めることは色々あるでしょうが、何よりも他の人々のことや主の共同体のことを考えましょう。
そこに主からの視点が生まれます。

祝福を祈ります。
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2024年11月09日

2024/11/9早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇68:19-35です。

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「ほむべきかな 主。日々 私たちの重荷を担われる方。」(19)とあります。
なんと心強いことでしょうか。
私たちは主に祈って、すぐに答えがないと、忘れられているのか〜とか、愛されていないのか〜などといじけてしまうような者ですが、実は主御自身は忘れるどころか、私たちの重荷をすでに負っていてくださるのです。
ですから主が共に苦しんでいてくださるのです。

その主の姿を聖霊によって見せていただきましょう。
その主の心を聖霊によって感じさせていただきましょう。
それはあの十字架に始まるものです。
あの十字架は今も有効であり、私たちの今の重荷のためでもあったのです。
そして主イエスは私たちのためにとりなしていてくださるのです。

生涯かけて「神をほめたたえ」(26)る聖徒らの行列に加わりましょう。
そのような生き方をしましょう。
主の前でいじける思いを捨てて、主を頼もしいお方と信頼しましょう。

「貢ぎ物はエジプトから到来し クシュは神に向かって 急いで手を伸ばします。」(31)とあります。
異邦人が救われることが預言されていますが、まさに私たちこそが異邦人の救いの預言成就です。
主のみわざの確かさに驚きつつ感謝しましょう。
またそのような主は、今まだ信じていない人々にもアプローチしておられます。
主の救いのわざに期待して、伝えましょう。
クリスマスシーズンに主のわざに期待して、その主のわざに参与させていただきましょう。
何ができるでしょうか。
できることから始めて、その後にまた主の導きを求めましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月08日

2024/11/8早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇68:1-18です。

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主に救いを願っている歌です。
主への信頼はどこから来るのでしょうか。
それはかつての荒野での主のみわざを回想するところから来ています。
「あなたの群れはその地に住みました。神よ あなたはいつくしみをもって 苦しむ者のために備えをされました。」(10)というように、主のみわざを思い起こしているのです。

信仰とは主を信じることです。
また信仰の勝利とは主を信じ抜いて、その主から勝利が与えられることです。
主を信じぬくために一番力になるのは、このように過去に主によって助けられた経験なのです。

ですから過去の恵みに感謝しましょう。
感謝を主に表しましょう。
その信頼を心に留めましょう。
そしてサタンの惑わしによる不信仰を払拭しましょう。

「主はみことばを与えてくださる。」(11)ということが、歌として心を動かすものなのだと、詩人は理解しています。
私たちは主のみことばに対して、それほどに感動しているでしょうか。

「バシャンの山」(15)は異邦の地ですが、「住まいとして望まれたあの山」(16)すなわちエルサレムをねたむほどに慕うと宣言されています。
このように主は信仰のないところにもみわざをなさる方なのです。
すなわち主の宣教のわざが進むのです。
私たちは主を賛美する中で、そのような幻が与えれられるようでありたいと思います。
愛する人々の救いのためにも、主を賛美しつつ主の幻をいただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月07日

2024/11/7早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇67:1-7です。

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祝福を祈る歌です。
ただし、自分だけが祝福されれば良いというような、自分中心ではありません。
「諸国の民があなたをほめたたえ 諸国の民がみなあなたをほめたたえますように。」(3)というように、人々のためを思ってのことです。

私たちはもちろん自分のために祈ることは良いことではあります。
しかしそれも、宣教のためかどうか、主の栄光のためかどうか、それが大切です。
この世の多くの人もクリスチャンが祝福された喜びに満たされているなら、主に心を向けるでしょう。
そのために主に願いましょう。
人はうわべを見ますが、主は心をご覧になります。

祝福を祈ります。
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2024年11月06日

2024/11/6早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇66:8-20です。

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詩篇のヘブル語の題名はテヒリームと言って、それはたたえの歌を意味します。
ただしそれは何も問題がなくて、楽天的に歌っているのではありません。
「銀を精錬するように 私たちを錬られました。」(10)というような、苦しみを乗り越えたところにある、たたえの歌なのです。

そこには、苦しいときの神への願いがあります。
そしてその願いが聞かれたときの、「誓い」(13)が生まれます。
願いが聞かれても当たり前として、感謝もしないなら、それは傲慢というのものです。

主への感謝をささげましょう。
またかつての誓いは果たされているでしょうか。

祝福を祈ります。
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2024年11月05日

2024/11/5早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇66:1-7です。

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主の偉大さを知った者が、自分のほめたたえる思いだけでは物足らず、「全地よ 神に向かって喜び叫べ。」(1)と要求しています。
万物が主をたたえることは当たり前のこととして、確信を持って言っているのが分かります。
ここに信仰者の基礎があります。
また伝道の確信があります。

自分は信じているけれど、それは自分だけで、他の人にまで勧めることはできないと思っているクリスチャンもいるのです。
私たちは、「喜び叫べ」(1)と宣言するように、全地に向かって主のすばらしさを宣言しましょう。
人々にも宣教しましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月04日

2024/11/4早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇65:1-13です。

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ダビデは何度も主に願っては、長い苦難の中で忍耐して救いを待ち望んでいました。
それでも「祈りを聞かれる方よ」(2)と主への信頼は揺るがないで、主ご自身をそのように呼んだのでした。

ここに私たちの解決の糸口があります。
祈っても聞かれないときに、どうせ無理なのだとあきらめてしまうのは簡単です。
しかしそれでは主からの大切なメッセージを聞くことはできません。
もちろん祈りが何でもすぐに聞かれるとしたら、これもまた、主からのメッセージに耳を傾けることはできません。

祈りが直ぐに聞かれない、助けが直ぐに実現しないという中でこそ、聞ける主の御心があり、その御心こそが、私たちの生涯の宝なのです。
一生の必要であり、勝利の力なのです。

私たちはどんなときも、主に対して、「祈りを聞かれる方よ」(2)と信じて、その御前に出ましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月03日

2024/11/3早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇64:1-10です。

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悪者は悪を行うのにすぐれています。
時に信仰者も太刀打ちできないときがあります。
あのダビデ王でもそのように感じて悩んだことがあったのでしょう。
しかし「神が彼らに矢を射掛けられる」(7)と確信しています。
ですから「正しい人」(10)でいられるのです。
最も強い方である主が「正しい人」(10)のために戦ってくださるからです。
世の人が不正や悪で成功し、勝利しているように見えますが、そのような価値観に惑わされないようにしましょう。
主にあって喜びましょう。

祝福を祈ります。
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2024年11月02日

2024/11/2早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇63:1-11です。

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「水のない衰え果てた乾いた地で私のたましいはあなたに渇き…」(1)とあります。
そのような状況では当然、水に渇いているはずですが、信仰者は違うのです。
私たちが求めるのは神ご自身です。
なぜなら、水も恵みも神様から来るからです。
神様を求めずして、必要だけ求めても意味がないのです。
解決を求めても意味がないのです。

それゆえ詩人は「あなたの恵みは いのちにもまさる」(3)と告白しているのです。
私たちも自分のいのちが誰によって守られているのかを、常によく考えましょう。

祝福を祈ります。
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