2024年03月04日

2024/3/4早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇44:9-26です。

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詩人は神の手が遠く感じているようです。
私たちにも同じようなことがあるでしょう。
その中で、「あなたの道からそれませんでした。」(18)という自分自身の姿が、主に求めることのよりどころになるのです。
自分自身に罪があるなら、私たちの信仰は弱くなってしまうのです。
主の助けを待ち望む者は、主の御心を行いましょう。

祝福を祈ります。
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2024年03月03日

2024/3/3早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇44:1-8です。

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苦しみの中で主の解決を求めています。
その拠り所は何でしょうか。
それは「先祖たち」(1)に恵みと解決をくださった主であるということです。
その主に信頼しようとしています。

このように過去の証しや主のみわざを知ること、また思い起こすことは大切です。
日々主に感謝できる人は、苦難にも強いのです。

また共同体に働かれた主のみわざはみなの財産です。
みなで感謝するなら、私たちの信仰は益々強められます。
ですから主への感謝をささげつつ、そのみわざを証しをしましょう。
1人の内にとどめておくことは御心ではありません。

祝福を祈ります。
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2024年03月02日

2024/3/2早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇43:1-5です。

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詩人は苦しみの中で神に求めています。
それは単に救ってくださいというだけではなく、神様の正義のさばきを求めています。
そのように神様の義が自分に味方してくださるのだという確信は、強い信仰を生み出します。
もちろん憐みを求めることもできますが、日々の歩みの中で正しく生きるなら、そのように義を求めて力強い求めができるのです。

それは単に個人の救いだけではなく、主の正義がこの世にもたらされるという、すばらしいみわざを求めているのです。
その結果、「こうして…ほめたたえます」(4)と、その信仰が引き上げられるのです。
絶望したままでは何も生まれません。
主を見上げるときに希望が生まれます。
またこのように苦しみがあるからこそ、私たちのような信仰の弱い者が主に向くことができるということもできます。

祝福を祈ります。
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2024年03月01日

2024/3/1早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、詩篇42:1-11です。

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これは捕囚の地で、かつての都エルサレムを慕って歌われたものです。
「鹿が...慕いあえぐ」(1)とありますが、これは信仰の姿を表しています。
私たちはあえぐようなことを望んではいませんが、誰にでもそういう時があります。
そのような苦しいときや悲しいときに、何を求めるかが大切です。
主を求めて慕いあえぐ者でありましょう。
それこそが本当の解決です。

サタンは周囲のノンクリスチャンを用いて、「おまえの神はどこにいるのか」(3)と、信仰に疑いを起こすようにしむけますが、それはサタンの常套手段であって、惑わされないようにしましょう。
むしろ「喜びと感謝」(4)のときを「思い起こし」(4)ましょう。
そして「神を待ち望」(5)みましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月29日

2024/2/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書3:14-21です。

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宇宙レベルでの異変が記されていますから、これは終末的な意味もあると理解されます。
「天も地も震える」(16)ようなことがあっても、主は私たちに「あなたがたの神」(17)であると言ってくださり、「避け所」(16)「砦」(16)となってくださいます。
安心して主への信頼の中を歩みましょう。

主の民を見下して横暴を行った、あの強国エジプトも主の前には「荒れ果てた地」(19)となってしまいます。
主はその義によって「罰せずにはおかない」(21)のです。

一方主の民は、その不信仰の罪ゆえに主から懲らしめを受けながらも、主に立ち帰ることで、主は「シオンに住む」(21)すなわち共にいて守り導いてくださると約束してくださいます。

主からの凝らしめを信仰のチャンスとして、主にさらに近づき、大きな祝福をいただくものでありましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月28日

2024/2/28早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書3:1-13です。

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ツロ、シドン、ペリシテなど、イスラエルを蹂躙した国々へのさばきが預言されています。
このように主はイスラエルへの特別な関わりとともに、普遍的な正義をも両立なさる全能の神です。

ですから私たちもまた主への信仰を全うするとともに、普遍的な愛を全ての人に与えるべきです。
またそれは同時に、私たちを守る主のみわざが行われることも意味します。
主の義と愛の中を歩みましょう。

そのような主の権能が表わされるとき、そこには決して後戻りできない時代の緊張感があります。
まさに主の聖戦のように、決戦が始まるのです。
私たちも主の時を敏感に感じ取って、将来を左右するような信仰の戦い(チャレンジ)に参加しましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月27日

2024/2/27早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書2:18-32です。

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ヨエル書は神のさばきを主題とする預言の書です。
ホセアのような徹底的な赦しをテーマとする書もありますが、このようにさばきが明確にされることによって、主の赦しのすばらしさと驚きが際立つのです。
主のさばきの厳かさを知らない人は、赦しと救いの感謝も希薄になってしまいます。

ですから主への恐れをいつも忘れないようにしましょう。
それと同時に主の赦しはもっと大きく、それは無限の愛によるのだということ、そして自分自身がその愛で愛されているということを、いつも感じていましょう。

ここではさばきの後の赦しについて伝えて預言されています。
さらにはその後の主の御計画についても述べれられています。
赦された私たちには主の祝福と尊い使命があるのです。
自分自身の人生がこのような偉大な御計画の中にあることに、心躍らせながら、主の御計画を担って生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月26日

2024/2/26早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書2:1-17です。

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イスラエルや諸国にとってのさばきは、戦争に負けることや国が荒廃することでしたが、やがて世の終わりのさばきがあることを聖書は明言しています。
ここでの預言はスケールの大きさから言って、そのような終末を暗示するものです。

このように終末はさばきの苦しみが伴っていることを忘れてはなりません。
主は義なるお方であり、さばき主です。
何でもいい加減に人間の都合よくしてくれるのが神ではないのです。

そしてそのようなさばき主であるからこそ、その憐みと救いの驚くべき価値が分かるのです。
私たちが救われたのは、また終末が希望であるのは、有り得ないほどの愛の神によってもたらされたのです。
恐れおののいて、救われたこと、赦されたことを感謝しましょう。
またその感謝を表しましょう。

すでにクリスチャンであっても、主から離れてしまった部分はないでしょうか。
それを認めて、主に立ち返りましょう。
もしも、みこころにかなわないことがあったなら、「あわれみをかけてください(あわれんでください)」(17)と真剣に祈りましょう。
そして、主のみこころを行うためのプランを、イエス様とともに立てていきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月25日

2024/2/25早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書1:13-20です。

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「祭司」(13)や「祭壇に仕える者」(13)に対してさえ、主はさばきの宣告をなさいます。
主との交わりという大切な働きですが、国全体が不信仰になり、その信仰の中心ともいうべき部分が機能不全に陥るのです。

私たちの共同体がもしも主からの祝福を失うなどということがあるなら、それは何よりも礼拝という信仰の中心が機能不全に陥ることでしょう。
主との交わりこそが私たちの生命線です。
私たちも罪あるものなので、主からのさばきの宣告を受けなければなりませんが、主はイエス様の贖いによって罪を赦していてくださいます。

そのイエス様のゆえに礼拝が可能になるのです。
そしてその礼拝こそが祝福の証しです。
本来さばかれるべきものが、このように礼拝を許されたものとなるというのは、何と感謝なことでしょうか。

礼拝を何よりも大切にし、また主に喜ばれる礼拝のために最善を尽くしましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月24日

2024/2/24早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、ヨエル書1:1-12です。

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ヨエル書は神のさばきが主題です。
イスラエルの不信仰を告発し、そのイスラエルを攻撃する他の国々をも告発します。
しかしその中に後の救いが述べられます。

ここではイスラエルの不信仰のゆえに、様々な苦難を受けなければならない状況を預言しています。
それは何よりも、自分たちの罪に気づくためです。

主は救い主で、愛のお方ですが、一方義なるお方であるということは揺るぎないことです。
私たちは主に甘えるような信頼を持つと共に、十字架によって赦され続けている存在であることも忘れてはなりません。
私たちは相変わらず罪のある者なのです。
罪をいいかげんにせずに、いつも悔い改めつつ、きよめていただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月23日

2024/2/23早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書16:9-20です。

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マリアはイエス様の復活について伝えましたが、弟子たちでさえ復活を信じることができませんでした。
人は死の前には希望を持つこともできないほど無力なのです。
神の全能よりも、死の意識に束縛されていることがよく分かります。

主イエスは復活を事実として表しました。
すなわちご自身を表したのです。
復活は事実であるからこそ力があります。
弟子たちの内面の希望という程度であるなら、それは無力です。
信じることができなくても、事実を見ることはできます。
それは歴史的に記録が残されている事実です。
それが復活の信仰なのです。

そしてその事実の上に、私たちの希望は成り立っています。
私たちの身代わりに死んでよみがえったということは、私たちが同じようになるということだからです。

永遠のいのちの希望を持ち続けましょう。
その希望を「全世界」(15)の中の日本で「宣べ伝え」(15)ましょう。
「信じる人々」(17)に与えられる「しるし」(17)を表しましょう。
それらが人に伝わるような生き方をしましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月22日

2024/2/22早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書16:1-8です。

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マリアとサロメとはイエス様が復活することを明確に予期していたわけではありませんでした。
それでもイエス様の遺体に香油を塗ろうと墓に行ったので、このように復活の第一発見者となることができたのです。
イエス様は生前に、その足に香油を塗った行為を喜ばれ賞賛されましたが、周囲の者は無駄なことをしたと憤慨しました。
その動機はイエス様への愛を表したいという思いです。

愛を表すことは非常に重要です。
効率や生産性を考えるとどうかと思えることでも、それらがすべてではありません。
愛を表しましょう。
そこに主のみわざが表されます。

イエス様はよみがえられました。
それは死への勝利を意味します。
サタンの敗北です。
これが私たちの希望です。
サタンが敗北したということは、私たちの苦難の中にあっても、必ず主の恵みの計画が成就するということです。
大いなる希望を持ちつつ、それゆえに愛を表してゆきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月21日

2024/2/21早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書15:33-47です。

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「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(34)ということばは、詩篇22篇にあります。
イエス様はダビデがご自分の苦難のひな型であることを知っておられたので、このみことばを口にしたのでしょう。
イエス様が旧約の預言・約束としてご自身が十字架に架かり、救いを成し遂げようとしておられることがわかります。

「大声をあげて、息を引き取られた」(37)という記述から、その苦しみが極みに達していたことが分かります。
そしてイエス様の肉体は完全に死んだのです。
そのとき「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38)とあります。
この幕は聖なる神と人間とを分ける幕でしたが、人類の罪をイエス様が負ってくださったことにより、聖なる神に人間が近づけるようになったことを表します。
どんなときも、どんな魂の状態でも、主に近づきましょう。
そのための十字架の御苦しみだったのですから。

イエス様の十字架のそばには様々な人々がおり、女性もいました。
当時女性はさげすまれていて、人数には入れられなかったのですが、神様は女性をも尊重し、男女に優劣はつけてはおられません。
ここでも多くの女性達が危険を顧みず勇気を持って、イエス様の側近くで見守っていました。
それはイエス様への信仰の表れでもあります。
当時の女性のように人間からは尊重されていないようでも、主から信仰が与えられたならば、強められてすばらしい働きをすることができます。
主と主への信仰に可能性があるのです。

アリマタヤのヨセフは、サンヘドリン(イスラエルの最高決定機関であり最高裁判所)の有力な議員でしたから、イエス様が議会で死への尋問を受けておられたときも彼はそこにいたはずです。
そして今十字架のイエス様を見たときに彼は、まさにこの方が神の子であることを悟りました。
イエスの遺体を埋葬するなどということは、その仲間であることを表明するのですから、その身に危険が及びますし、また議員としての地位もなくすことでした。
そしてこのことがイエス様の復活を明確な形としました。
墓からのよみがえり、そしてローマ兵やローマ当局の対応など、墓があったからその記録が残ったのであり、復活が明確になったのです。

主イエスが神であることを知ったなら、またその思いを新たにしたなら、勇気を持って主のためにできうることをしましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月20日

2024/2/20早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書15:24-32です。

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「十字架につけた」(24)と簡潔に記述していますが、そこには生きた人間を鉄の釘ではり付けにするという、残虐な行為によるあらゆる出来事が含まれています。
激痛による叫びがあり、苦しみによって体がよじれ、恐ろしいほどの血が流れました。

「イエスの衣」(24)とあるのは、母が息子の成人のときに織り上げて与えるものです。
それはユダヤの習慣で、息子は母の愛情を感じながらそれを一生大切にするのです。
その母の愛を踏みにじるようにしてローマ兵はくじを引いたのです。

イエス様は強盗と同じ扱いを受けましたが、そうされることをあえて受け入れられました。
強盗のように罪のある私たちであっても、イエス様は同じ立場に立ってくださり、同じ思いになってくださり、慰め励まし、守りつつ解決へと導いてくださいます。
主イエスがおられることで安心しましょう。

またそれはまさに十字架のできごとです。
つまり、悩む私たちの罪を負ってくださるのです。
私たちは単に苦しみの解決だけに関心を向けるのではなく、自分の罪にも関心を向けるべきです。
罪の赦しときよめこそが全ての解決だからです。

道行く人までもがイエス様を辱めましたが、イエス様はそれさえもあえてお受けになりました。
もはやイエス様には人類の罪を贖うことだけが、その思いにあったのです。
主の大いなるみこころを成し遂げようとするときには、このように自分の利害やプライドなどは小さなことになります。
それほどの気持ちで主のために働きたいものです。

祝福を祈ります。
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2024年02月19日

2024/2/19早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書15:16-23です。

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恐ろしい十字架刑ではありますが、聖書ではそれを簡潔に記述しています。
特にマルコは記述が短いのですが、これには神様の御思いがあるのでしょう。
その残酷さや悲しさを単に感情的に伝えるのではなく、主のなさったみわざを伝え、それを読む私たちが聖霊の働きによって、理解し感じることが主の意図されたことではないでしょうか。
少なくとも聖霊によらなければ、これは単なる単純な記録です。
また聖霊によって読むなら、主イエスの激痛を感じ、叫び声が聞こえてくるのです。

主イエスを愛し、その御思いに少しでも近づきたいという思いでこの箇所を読みましょう。
そしてその一つ一つの苦しみが、自分自身のためであったことを覚えましょう。

「紫の衣」(17)は高貴な人が着るものでしたが、ここでは明らかにイエス様をからかい馬鹿にしたものです。
王と自称してもこの有様だと言わんばかりです。
その極めつけとして、高貴な人が被る王冠を、事もあろうにいばらで編んで、これを頭に食い込ませました。
数センチもある長い棘は頭全体からこめかみまで食い込みました。
その顔は血だらけになったでしょう。

そのような中でクレネ人、シモンはイエス様をお助けすることができました。
はじめは「無理やり」(21)に背負わされたのですが、最後の十字架のところまで負い続けたのです。
これも御父なる神様の導きであると考えられます。
私たちもたとえ不本意な中で背負わされた重荷であっても、主イエスの役に立てるなら…と思いを新たにし、十字架を負い直してみましょう。
必ず新しい喜びが生まれるはずです。

「没薬を混ぜたぶどう酒」(23)は十字架の苦しみを少しでも和らげるために与えられたものですが、イエス様はそれを拒否なさいました。
苦しみを余すところなく受けるためです。
イエス様はそれほどの覚悟を持って私たちを救ってくださったのです。
どんな時でもどんなことでも、イエス様は愛を差し控えるような方ではありません。
私たちは自分が主イエス様の無限の愛に包まれていることを、常に感じて生きるのです。

祝福を祈ります。
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2024年02月18日

2024/2/18早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書15:1-15です。

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マルコ福音書のテーマはいうなれば、”イエスがいかに力ある御父の働き手であるか”というものです。
(その最たるものは十字架によるあがないです。)
人間的に見れば、一般的に力ある者は雄弁で、自分の正しさを効果的に主張し、相手の心を動かして、自分の目的を成し遂げるというものでしょう。
しかしイエス様は違いました。
「イエスはもはや何も答えようとされなかった」(5)のです。
イエス様は全てを父なる神にお任せするという、最も効果的で力ある道を知っておられたからです。
そして御自分の主張は控えて、父なる神のみこころのみを求めるという、最も雄弁な道を知っておられたのです。

私たちは自分の不利に際して、あせってあれやこれやと言いたくなるものです。
または立場が悪くならないようにと、時には相手をやり込めたくなるものです。
しかしそれは全く効果的ではなく、雄弁でもなく、非効率的であることを知りましょう。

全能の神のみこころに委ねること、これが本当に力ある者なのです。
また、時には何も申し開きの機会が与えられないまま、悔しい思いをすることがあるかもしれません。
そのときも御父に委ねることのすばらしさを感謝しましょう。
イエス様と同じ道を歩み、栄光を見ることができるのです。

祝福を祈ります。
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2024年02月17日

2024/2/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:66-72です。

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ペテロはイエス様を裏切りました。
特に少し前に、自分は絶対に裏切るようなことはないと言明していただけに、その行為が目立つことになりました。
彼は自分の信仰を過信していたのです。
誰もが自分は信仰を持ち続ける、あの人のような罪を犯すことはない、あれくらいの奉仕なら自分ならやり遂げられるなどと思ってしまうものですが、状況とういものは変わるものです。

誰もが自分は弱い存在であること、今の状態は続かないかもしれないということを知り、謙遜でありましょう。
そして謙遜ゆえに主の力に依り頼んで行きましょう。

イエス様は彼の裏切りをあらかじめ知っておられ、それを彼に伝え、彼が「イエスが自分に話されたことを思い出」(72)すようにされましたが、それは彼をとがめるためではありませんでした。
「立ち直ったら」(ルカ22:32)と彼のその後に希望と期待を与えたのです。

私たちは誰もが失敗するものです。
それをなかったかのように振舞うのではなく、またどうしようもなかったのだと開き直るのでもなく、さらには他の人も同じだと弁解するのでもなく、ただ主の赦しと回復をいただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月16日

2024/2/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:53-65です。

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多くが逃げ去った後も、ペテロは「イエスの後について、大祭司の家の庭の中にまで入って行」(54)きました。
イエス様への思いがあり、心配だったのでしょう。
この後彼はイエス様のことを「知らない」と見捨てたのですが、しかし彼が「大祭司の家の庭の中」という危険なところまでついて行ったということは、神様に知られていたはずです。

イエス様はその思いをも知って、彼に「立ち直ったら…」と、希望と励ましをくださったのでしょう。
私たちは弱いものですが、それで開き直ったり諦めたりしないで、中途半端と見られたとしても、自分にできる最善をつくしましょう。
主は必ず見ておられます。

イエス様は罪のないお方ですから、誰も裁くことなどできません。
その罪状が「ほむべき方の子キリスト」(61)であるとの証言であるというのは、示唆を与えます。
人間は神を裁くことも評価することもできないのですが、そのような傲慢なことをする場合は必ず、神の神聖を否定するのです。
すなわち、創造や主権、救いやさばきについて、それを否定して、自分が非難されないようにするのです。
神を認めないことによって自分の安泰を保とうとするのです。
しかしそれは逆に自分を窮地に追いやることとなります。

神の主権を信じて、その十字架で救われた私たちですから、今もまた主の主権の前にひれ伏しつつ、自分の存在を安心なものとしてゆきましょう。
イエス様は「ほむべき方の子」(61)であられます。

祝福を祈ります。
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2024年02月15日

2024/2/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:43-52です。

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ユダは親愛のしるしである口づけをもって、イエス様を裏切りました。
神様に逆らい裏切っても、表面は信仰的に見せかけることもできるのです。
ユダの行為がその親愛の行動によってなおさらイエス様を悲しませるものとなったように、もしも親愛の行動で取り繕って裏切るなら、それはもっと悪いことになります。
常に真心で主に従いましょう。

はだかで逃げた青年のことを思っても、弟子たちの恐怖が大きかったとわかります。
私たちは逃げ去った弟子たちを、信仰がないと言って片付けてしまうのではなく、自分に置き換えてみて、自分自身の信仰を吟味してみることが必要です。

おそらく誰もペテロのように「わたしはつまずきません。」(14:29)と言える人はいないでしょう。
主の愛をいただきながら、弱さを認めつつ、聖霊によって強められる必要があります。

祝福を祈ります。
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2024年02月14日

2024/2/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:32-42です。

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イエス様の十字架の苦しみはここゲッセマネから始まりました。
三位にして一体である父なる神から捨てられることは、「悲しみのあまり死ぬほど」(34)の苦痛なのです。
しかも3年間ともに歩んできた弟子たちは、イエス様への思いよりも眠気の方が優先で、その後の裏切りと逃げ去りを思わせるような悲しい態度でした。

その中で主イエスは、人間となられたゆえの弱さを抱えながら、すなわち肉体の苦しみと恐怖心と戦いながら、十字架へ向かう祈りをささげたのです。
「この杯をわたしから取り去ってください。」(36)と祈ったのは、自分の願いを押し通そうとするものではなく、「あなたがお望みになることが行われますように。」(36)というように、主のみこころへと進む決心を固めるためのものです。

祈りとはこのように、主のみこころを知って従う決心を与えられるためでもあります。
十字架の愛を受け継ぐ私たちも、それぞれの十字架を負うために、そしてその後の勝利と賞賛をいただくためにも、主イエスの祈りを模範としましょう。
主は「耐えられない試練にあわせることはなさ」(1コリント10:13)らないからです。

祝福を祈ります。
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