2024年02月17日

2024/2/17早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:66-72です。

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ペテロはイエス様を裏切りました。
特に少し前に、自分は絶対に裏切るようなことはないと言明していただけに、その行為が目立つことになりました。
彼は自分の信仰を過信していたのです。
誰もが自分は信仰を持ち続ける、あの人のような罪を犯すことはない、あれくらいの奉仕なら自分ならやり遂げられるなどと思ってしまうものですが、状況とういものは変わるものです。

誰もが自分は弱い存在であること、今の状態は続かないかもしれないということを知り、謙遜でありましょう。
そして謙遜ゆえに主の力に依り頼んで行きましょう。

イエス様は彼の裏切りをあらかじめ知っておられ、それを彼に伝え、彼が「イエスが自分に話されたことを思い出」(72)すようにされましたが、それは彼をとがめるためではありませんでした。
「立ち直ったら」(ルカ22:32)と彼のその後に希望と期待を与えたのです。

私たちは誰もが失敗するものです。
それをなかったかのように振舞うのではなく、またどうしようもなかったのだと開き直るのでもなく、さらには他の人も同じだと弁解するのでもなく、ただ主の赦しと回復をいただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月16日

2024/2/16早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:53-65です。

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多くが逃げ去った後も、ペテロは「イエスの後について、大祭司の家の庭の中にまで入って行」(54)きました。
イエス様への思いがあり、心配だったのでしょう。
この後彼はイエス様のことを「知らない」と見捨てたのですが、しかし彼が「大祭司の家の庭の中」という危険なところまでついて行ったということは、神様に知られていたはずです。

イエス様はその思いをも知って、彼に「立ち直ったら…」と、希望と励ましをくださったのでしょう。
私たちは弱いものですが、それで開き直ったり諦めたりしないで、中途半端と見られたとしても、自分にできる最善をつくしましょう。
主は必ず見ておられます。

イエス様は罪のないお方ですから、誰も裁くことなどできません。
その罪状が「ほむべき方の子キリスト」(61)であるとの証言であるというのは、示唆を与えます。
人間は神を裁くことも評価することもできないのですが、そのような傲慢なことをする場合は必ず、神の神聖を否定するのです。
すなわち、創造や主権、救いやさばきについて、それを否定して、自分が非難されないようにするのです。
神を認めないことによって自分の安泰を保とうとするのです。
しかしそれは逆に自分を窮地に追いやることとなります。

神の主権を信じて、その十字架で救われた私たちですから、今もまた主の主権の前にひれ伏しつつ、自分の存在を安心なものとしてゆきましょう。
イエス様は「ほむべき方の子」(61)であられます。

祝福を祈ります。
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2024年02月15日

2024/2/15早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:43-52です。

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ユダは親愛のしるしである口づけをもって、イエス様を裏切りました。
神様に逆らい裏切っても、表面は信仰的に見せかけることもできるのです。
ユダの行為がその親愛の行動によってなおさらイエス様を悲しませるものとなったように、もしも親愛の行動で取り繕って裏切るなら、それはもっと悪いことになります。
常に真心で主に従いましょう。

はだかで逃げた青年のことを思っても、弟子たちの恐怖が大きかったとわかります。
私たちは逃げ去った弟子たちを、信仰がないと言って片付けてしまうのではなく、自分に置き換えてみて、自分自身の信仰を吟味してみることが必要です。

おそらく誰もペテロのように「わたしはつまずきません。」(14:29)と言える人はいないでしょう。
主の愛をいただきながら、弱さを認めつつ、聖霊によって強められる必要があります。

祝福を祈ります。
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2024年02月14日

2024/2/14早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:32-42です。

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イエス様の十字架の苦しみはここゲッセマネから始まりました。
三位にして一体である父なる神から捨てられることは、「悲しみのあまり死ぬほど」(34)の苦痛なのです。
しかも3年間ともに歩んできた弟子たちは、イエス様への思いよりも眠気の方が優先で、その後の裏切りと逃げ去りを思わせるような悲しい態度でした。

その中で主イエスは、人間となられたゆえの弱さを抱えながら、すなわち肉体の苦しみと恐怖心と戦いながら、十字架へ向かう祈りをささげたのです。
「この杯をわたしから取り去ってください。」(36)と祈ったのは、自分の願いを押し通そうとするものではなく、「あなたがお望みになることが行われますように。」(36)というように、主のみこころへと進む決心を固めるためのものです。

祈りとはこのように、主のみこころを知って従う決心を与えられるためでもあります。
十字架の愛を受け継ぐ私たちも、それぞれの十字架を負うために、そしてその後の勝利と賞賛をいただくためにも、主イエスの祈りを模範としましょう。
主は「耐えられない試練にあわせることはなさ」(1コリント10:13)らないからです。

祝福を祈ります。
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2024年02月13日

2024/2/13早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:22-31です。

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聖餐式の原型がここにあります。
それは単なる儀式ではなく、イエス様の十字架を覚えることであり、またこのように十字架前夜にイエス様の弟子たちの一人として、その食事にあずかることでもあります。
教会の礼拝で聖餐のときは、その意味と心を大切にしましょう。
また十字架に至るイエス様の思いを深く感じながら、これにあずかりましょう。

イエス様とペテロとの会話は、マルコではオリーブ山に出かけてからであり、ルカではその前になっています。
その話題が続いていたのかもしれません。
それほどペテロには警告が与えられていたのに、彼は「私はつまずきません。」(29)と、あくまでも自分の意思の強さを過信していました。
しかも「たとえ皆がつまずいても」(29)と、他の者の信仰を見下している様子も感じられます。

そこには彼の熱心さや主への情熱もあり、それゆえ彼は自分の思いは純粋だと感じていたでしょう。
しかし誰の信仰であっても、人間の意志は弱いので聖霊によらなければ、それを全うすることはできないのです。

主への情熱を持ち、聖霊に頼りつつ、弱さを認めて謙遜になりましょう。
何に関することでも、自分の弱さゆえの警戒が与えられたら、それを受け入れて、主によって強められましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月12日

2024/2/12早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:12-21です。

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「過越の子羊」(12)とは、イエス様のひな型です。
かつてエジプトでイスラエルが奴隷として苦しんでいたときに、そこから神様が解放してくださったことを記念する祭りです。
そのとき神様のさばきの手がエジプトに下ったのですが、小羊の血を塗った家はさばきを免れました。
それはまさにイエス様の十字架の血によってさばきを免れるという救いを表しているわけです。

ですからイエス様はこの祭りにおいて十字架にかけられる必要がありました。
イエス様はそれをご存知で、強い決心をもってこの日に臨まれたことがわかります。

そこでイエス様は「一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります。」(18)と予告なさいました。
ユダに悔い改めるチャンスを与えたのです。
もしも悔い改めるなら彼はただ神様との関係の中で、誰にも知られずにその問題を解決することができたはずです。
それは主の愛の促しです。
しかし彼は、「わざわいです。」(21)とまで警告されても変わりませんでした。

私たちは、主の愛の促しがあるうちに悔い改めましょう。
主イエスの十字架への決心は、罪を赦し救うためなのですから。

祝福を祈ります。
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2024年02月11日

2024/2/11早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書14:1-11です。

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イエス様に命の危機が迫っていました。
今イエス様に付き従うのも、また危険を感じることだったでしょう。
そんな中、「ある女の人」(3)がイエス様への愛と感謝を表しました。
それは人間的な尺度から見たら、「香油をこんなに無駄にした」(4)と言われるようなことでした。
また「貧しい人たちに施し」(5)をすることもできたのに、それも無駄にしたと言われました。
しかしイエス様はその行為を賞賛されました。

人は様々な良い行いをするチャンスがありますが、その本来の目的と動機を失ってはならないのです。
貧しい人への愛は神から与えられるものですから、この神を第一にする動機がなければ、善行がやがて偽善になってしまいます。
また神の目的を踏まえないと、薄っぺらな同情主義に陥ってしまうのです。

この女性は全ての愛の根源である、神の自己犠牲の愛を第一に思っていたからこそ、この行動を心を込めて行いました。
当然貧しい人には神の愛で、だれよりも謙遜にまた思慮深く接したことでしょう。
なぜなら、この出来事の後にも、「貧しい人々は、いつも」(7)一緒にいたからです。

主への愛を何よりも優先して、「自分にできる」(8)限りの真心で表しましょう。
それが人をどんなときも、だれであっても愛することにつながるのです。

祝福を祈ります。
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2024年02月10日

2024/2/10早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書13:28-37です。

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イエス様はイスラエルの苦難と終わりの日、また全人類の終わりの日について語ります。
混同する感じを受けるかもしれませんが、両者は神の支配によって歴史が決定的に変わるという点では同じです。
世界経済や政治や軍事力が変化しても、神様の大きなご計画は確実に起こるのです。
第二次大戦後のイスラエル再興がその証であり、またその後のイスラルを取り巻く中東・世界情勢もまた聖書預言の延長線にあることがわかるでしょう。

イエス様は「戸口まで近づいていることを知りなさい。」(29)と言われ、また「その時がいつなのかは、だれも知りません。」(32)とも言っておられます。
近いけれども時はわかりません。
ことは矛盾しません。
いつであるかはわからないのだから、近いという緊張感をもって生きなさいということです。

イスラエルの終末も全人類の終末も神の決定的な時であります。
また永遠の世界への決定的な前進でもあります。
それは私たち個人の出来事も同じです。
人生における決定的な出来事や、また地上生涯の終わりということにも、常に緊張感を持って備える必要があります。

いつまでも同じ状態は続かないこと、主のご計画のみが成ること、信仰を持って備える者は「仕事を割り当て」(34)られた「責任」(34)を果たし、「しもべ」(34)として、賞賛と報いをいただけるのです。

祝福を祈ります。
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2024年02月09日

2024/2/9早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書13:14-27です。

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イスラエル民族の苦難と、さらにこの世の終わりについてイエス様が語り、警戒を促しておられます。
「荒らす忌まわしいもの」(14)とは、後のローマ皇帝カリグラとも取れますし、ティトスとも取れます。
恐らくイエス様はその後何度か起こるイスラエルの民族的苦難について言っておられるのだと思われます。

それらの歴史上の苦難というのは、最終的に起こるこの世の終わりの決定的苦難を心に留めるためのものです。
近代、現代に起こる大災害もまた同じで、それらはサタンの仕業であったとしても、私たちはそこから終末の教訓を学ぶ必要があるのです。

一番肝心なことは、「偽キリスト」(22)にまどわされないことです。
「しるしや不思議」(22)というような現象、すなわち奇跡や癒しなどというご利益的なものに心がとらわれていると、間違ってしまうことがあるということです。
正しい信仰は正しい聖書理解によって守られます。

日頃から、聖書の全体を正しく学び、謙遜に教えられて、終末の備えを怠らないようにしましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月08日

2024/2/8早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書13:1-13です。

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イエス様が言われたように、この後ローマの将軍ティトスが攻めて来た時は、神前が焼かれ、溶けて石の隙間に入り込んだ金を採取するために、「どの石も崩され」(2)たのでした。
この世に存在するものはみなやがては崩れてしまうものです。

またイエス様は「福音が、すべての民族に」(10)と言っておられますから、この終末についての教えは単にイスラエルのことだけではなく、全人類の来るべき終末についても語っておられるのだとわかります。

私たちは常に終わりの日に備える必要があります。
ノアの時代もイスラエルの終わりのときも、終わりなどないと思っていた人たちは悲惨な目にあいました。
それはこれから起こることに関しても同じです。
「用心して」(9)いましょう。
終わりを迎えることを忘れないで、後悔のないように生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月07日

2024/2/7早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書12:35-44です。

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イエス様は教室で講義をするような一方的な授業をしませんでした。
このように質問を投げかけ常に語り合いながら、ときには話題を取り上げ、出来事を利用して、相手が興味を持っていることから発展させて神の国の真理を語ったのです。
私たちもイエス様との生きた交わりをするなら、生活のあらゆることを通して教えていただけますから、心を開いていましょう。

律法学者のように、神の真理に生きているはずの人が、この世の人間的な良い扱いを求めるというのは、おかしなことであり、本当に信仰に生きていないことの証拠です。

クリスチャンも神のみこころに生きることを喜びとしているはずなのに、人からの名誉は誉めことばや儲け話に心が引かれる人があります。

イエス様がこの貧しい女性を誉めたことを思いながら、神様の価値観で生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月06日

2024/2/6早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書12:28-34です。

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「神…を愛」(30)することと「隣人を…愛」(31)することとは、どんな律法にも優っているという、聖書的倫理の本髄がここにあります。
パリサイ人や他の律法学者のように、自分の義や立場を守るために様々は細かい規定を考えるのではなく、この律法学者は愛の大切さを心に据えていたようです。
イエス様の教えを全く受け入れて、同意しました。

イエス様が十字架で罪を負って死んでくださったという愛こそが、聖書の本質であり救いの真髄ですから、愛が分からない者には神は分からないのです。
そして神が分からなくては、その神から与えれられた律法も分かりません。

そのような人々はクリスチャンとなってからも、決まりごとを守ろうとして、形を優先させてしまいます。
そして、愛がどのように働いているのかということに、思いが行かなくなってしまいがちです。

自分や人の行いが正しいかどうかを判断する前に、まず自分は「心を尽くし...愛し」(30)ているかどうかを、真剣に考えてみましょう。
言動が愛から出ているかどうかに、常に気づくようにしましょう。
そのような者にしていただきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月05日

2024/2/5早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書12:13-27です。

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イエス様がもしもカエサルに税金を収める必要はないと言ったなら、彼らはイエス様をローマ帝国にはむかう者であるとして非難したでしょう。
またもしもイエス様がカエサルに収めるべきだと言ったなら、ローマの支配を認める売国奴として非難されたでしょう。
どちらに答えても敵はイエス様を訴えることができたのです。

しかしイエス様は始めからこのような国と国の力関係や支配関係よりも、次元の高い存在であられました。
つまり神の永遠の権威を持った方です。
「カエサルのものはカエサルに」(17)というのは、この世のものと神の次元とは違うということです。

私たちは時々、どちらに付くかなどという人間関係の狭間で悩むときがありますが、このように神のみこころを行うことをまず考えるべきです。
この世の結果は神の権威によっていかようにもなるからです。 

また一方、信仰があるからといって、この世の義務を怠ることはできません。
税金など課せられたことはそれを果たすべきです。
それによって神のものが損なわれることはありません。
神の国はこの世の目に見えるものとは違うからです。

サドカイ人は復活を否定していましたから、イエス様に難問を吹っかけることによって、イエス様を非難しようとしました。
簡単に言うと死別した後に再婚した場合、復活後にどの婚姻関係が成り立つかという質問です。
その意図するところは、復活がないからこそモーセは再婚を認めているのだという論理です。

イエス様はふたつの点で反論し、復活の正当性を説明されました。
復活の後にはこの世の結婚を越える恵みがあるのだということです。
もちろん結婚はすばらしいものですが、復活の栄光においては結婚を超える、永遠の関係が聖徒たちにあるからです。

また「アブラハムの神…である」(26)というのは。死んだ人の神であることに関して、現在形で表現されているということから、今もアブラハムの神であり、そのアブラハムは消滅していないのだということです。

完全な神の知恵で復活を証しなさるイエス様の権威を信頼して、復活の希望を新たに持ちましょう。
またその復活の希望と力で満たされて生きましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月04日

2024/2/4早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書12:1-12です。

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「農夫たちのところに」(2)遣わされた「しもべ」(2)とは、預言者たちのことです。
そして「息子」(6)とはイエス様のことで、イスラエルの人々が神に敵対してきた様子を表しています。
ここではぶどう園を横取りしようとする強欲な人間の様子が描かれていますから、欲に関して警戒する必要があります。

またそれだけでなく、これがイエス様の教えであり、神の国について、信仰と不信仰について教えているということも考える必要があります。

イスラエルの人々は不信仰ではありましたが、神の国を乗っ取ろうとまでは考えていなかったでしょう。
しかし、結果的にそのような徹底的な敵にまでなってしまったのです。
それは不信仰を悔い改めなかったことの結果です。

神に従わないで、それでも自分を保とうとするなら、神と戦わざるを得ないのです。
神のみこころを語る人にダメージを与え、語れないようにさせ、神のみわざを損なうようになってしまうということではないでしょうか。

光と闇には中間がないように、信仰と不信仰にも中間がないこと、またイエス様とともに集めない人は散らす人であるということを忘れないようにしましょう。
主に従わないでいると、いつか主の敵になってしまうということも。
ですから自分の不信仰な行いや生活に気づいていたなら、今悔い改めて、主の憐みによって変えていただきましょう。
そして主のみこころへと喜んでチャレンジしていきましょう。

祝福を祈ります。
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2024年02月03日

2024/2/3早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書11:20-33です。

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いちじくのことからイエス様は祈りのことを教えました。
このように、主はそのときの私たちの身の回りの出来事や関心事から教えてくださるのです。
今は何も求めることはない...などと言って、祈りを怠ることなく、毎日主が語ってくださることに耳を傾けましょう。
それがディボーションです。

このように主は生きておられますから、自分の都合で終わらせないで、主の主題で生きましょう。
自分で考えに入れていなくても、主が求めておられることがあるのです。
赦しもその一つです。

祝福を祈ります。
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2024年02月02日

2024/2/2早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書11:11-19です。

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葉ばかり良く茂って見た目には良く見えても、人を満たすような実がない信仰があります。
イエス様は律法学者やパリサイ人のように、見た目には良く見えても愛の実を結ばない人々について語られたのです。

実のなる季節ではなかったというのは、まだ聖霊による実を結ぶ時は先であるという意味かもしれません。
実を結ぶには聖霊が必要です。
見せ掛けよりも、人を愛する聖霊の実を結ぶ生き方をしましょう。

イエス様はこのように見せかけの宗教を否定なさいました。
神殿で商売が成り立っている当時の状態は、さまに形だけの信仰が横行していたからです。

祝福を祈ります。
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2024年02月01日

2024/2/1早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書11:1-10です。

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イエス様は永遠の主であり、永遠の王ですから、エルサレムに入るには、この世的には馬がふさわしいということになるでしょう。
実際多くの支配者は軍馬に乗ってさっそうと登場します。

しかしイエス様は戦いによって支配する王でなく、人を愛し、人のために苦しむことを選んだ平和の王です。
ですからその象徴としてろばに乗ってエルサレム入りしたのです。

この世の権力に惑わされないようにしましょう。
それはやがて神様によって終わりとなるものです。
むしろ平和を作り出すことによって、神様からの愛の力をもらいましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月31日

2024/1/31早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:46-52です。

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バルティマイは人々からたしなめられても、ひるむことなくイエス様を求めました。
彼は必死だったのです。
主に求めて祈るときにはこれくらいの熱心さが必要です。
また「目が見えるようにしてください」(51)と本質を単純に求めています。

私たちは主に求めるとき、ときには苦しい思いから、周りのせいにしたり、自己卑下したり、多くの否定的な考えが浮かぶものですが、このバルティマイのように、ただ主の全能に期待して求めるべきでしょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月30日

2024/1/30早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:32-45です。

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イエス様が十字架の苦難のことを話されたにもかかわらず、彼らは本当の価値観を悟らずに、逆の思いを持っていました。
イエス様はこの世の権力や賞賛よりも、むしろさげすまれるような道を選び、それによって十字架の救いを全うしようとされます。
しかし弟子たちはイエス様とともに、この世の権力を手に入れようと期待していたのでした。

イエス様を信じる信仰とは、信仰のない人の価値観とは違う生き方を選択することになります。
決して自分の得になることを求めるのではありません。
偉い人になるよりもむしろ仕える者になるのが、本当の信仰なのです。

この世の地位や評判に関係なく、謙遜に仕える者となりましょう。

祝福を祈ります。
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2024年01月29日

2024/1/29早天メッセージ

本日の聖書箇所は、リビングライフにしたがって、マルコによる福音書10:17-31です。

本文とメッセージはこちら

この質問をした人は、よく戒めを守っている人でしたし、本人にその自負があったので、イエス様から自分が誉められるような、答えをもらえると思ったのでしょう。
しかしイエス様は、彼のできる最大のことを要求なさいました。

このように主の前に良いこととは、人と比べて満足することではなく、最大限のことをして、愛を与えることなのです。
それは難しいことですが、主の愛によって動かされるならできるものです。
また救いのためには、だれも不十分な愛しか持ち合わせていないのですが、主の十字架のみわざによって、救いに十分なものとさせていただけるのです。

祝福を祈ります。
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